靴の話
2548文字。
ゲン千拍手お礼第二弾。拍手ありがとうございます!
11巻、フランソワが石神村に来た時の話。
久々にゲンを出迎えた千空が気にしたこと。
「テメー、現代人ならいい加減、靴履きやがれ。破傷風になんぞ」
久々の再会だというのに、恋人がどうも微妙な顔をしていると思っていたら。
その夜、そんな風に声をかけられた。
「あ、ああ、急な出立だったからつい」
思いがけない言葉に、つい目が泳ぐ。以前から千空に言われていることだ。
確かにここまで文明が進んでいるというのに、いまだに二日間裸足で歩き通すなんて、自分でもかなりばかげていると思う。ゲンの足の裏の皮膚はずいぶん硬くなっていて、今さら岩や木の根で怪我したり、虫に食われたりすることはないけれど、往復する人間も増えた現在、道に落ちているものも変わっている可能性があるのだから。
「急だろうが急じゃなかろうが、テメーが靴履いてんの見たことねえわ。俺のやつやってもその場限りだし。裸足でいんのが旧司軍のルールか何かなのかよ」
「そういうわけじゃ――って、速攻司ちゃん裏切った俺にそれ言う!?」
「せめて、向こうとここ往復する時くらい履け」
たしなめる声の中にはまぎれもない心配の色があって、ゲンはうっと詰まり、混ぜっかえすのをやめた。
以前千空にもらった靴は少しばかりサイズが合わなくて、タコや魚の目が出来たので、悪いと思いつつ履くのをやめてしまった。もうどこにあるのか思い出せないな……とゲンが宙を睨みつつ言葉を探していると、
「おら、」
と言いながら、千空が身をかがめた。
天文台の床に直置きされたのは、白い布が張られた靴だった。
「まさかこれって……スニーカー?」
「というよりは、キャンバス地のスリッポンだ。ありあわせの麻布で作った。多分サイズ合ってると思うが、履いてみろ」
きちんと置かれた靴に、足裏が汚いまま履いてしまっていいのかな、と心配になりながら足を通す。快適な履き心地とぴったりのサイズに瞠目しつつ、白いからやっぱりこれは滅多に履けないな、と思う。
「すごい、ぴったり。――今日作ったの?」
「あ゙ぁ、さっきテメーらがパンで宴会開いてた時にな。テメー、革は蒸れるから嫌なんだろ。なら言えばいいじゃねえか、作ってやるのに」
どこか得意気な、満足気な表情に、胸の奥がぎゅっとする。
「違うんだ千空ちゃん」
こんなものを作ってほしいなんて、思いつきもしなかったのだ。
自分の履きものなんてそんな些末なものを、この、未来を作っていく大事な手に作らせるなんて、思いもつかなかったというだけだ。
「――オイ」
気がついたら、相手の肩に両腕をまわして抱きしめていた。
久々の体温。匂い。身じろぎする気配。
気が遠くなるようないとおしさが込み上げる。
下にクロムがいる時、共寝をすることを千空は好まない。
それでも。
「解ってる、何もしないから。もう少しだけこうさせて」
――言いあらわせない。
ゲンは自分のよくまわる舌が完全に役目を放棄しているのを感じる。
自分に贈り物をしてくれた人が目の前にいるというのに、感謝を、感動を、言葉でうまく言いあらわすことができない。
何を言っても違ってしまいそうで。
何を言っても足りなさそうで。
だからこうやって、肌越しに、自分のふるえを伝えることしかできない。
やがてゆっくりと千空の腕が背中にまわされて、暑い中、二人のからだはぴったりと密着した。
埋められた、と感じて、久々の充足感にゲンは目を閉じる。
こんな気持ち、こんな気持ちはもう何度も経験している。
千空が目の前でキラキラした顔で新しいクラフトのことを話している時。完成品を見せてくれる時。同じくらい満足気な顔で、ゲンのことを見つめてくれている時。
そのたびこの気持ちが生まれて、そして心のどこかが埋められていく。
この埋められた感じを言いあらわすことが、どうしてもできない。
気持ち悪いと言われずにすむ言い方で表現できる自信がまったくない。
「テメーは、言わねえもんな」
ぽつりと千空がそう言って、その静かなひびきにゲンは相手の肩に埋めていた顔を上げる。
「あれが欲しいとかこれが欲しいとか。あの時のコーラだけだ」
拗ねたような言い方に思わず苦笑した。
何かしてやりたい、作ってやりたい、というのが千空の愛情表現なのだともう知っている。
それでもゲンは、それに甘えて乗っかることに、どうしてだか抵抗がある。
「我慢してるとかじゃねえよな?」
「違うよ」
「誰か起こせとか、ないのか」
ふいに、それまでよりずっと真剣な瞳でそう言われて驚いた。
考えてもみなかったことだった。
「大樹は杠を、司は未来を、龍水はフランソワを望んだ。テメーは龍水より早くから俺のそばにいるのに、そういうことを一切言ってこない。――俺は今回、配慮が足りなかったか?」
貴重な復活液を使って、龍水の関係者を起こしたことを言っているのだと解る。
そんな風に気遣うことが千空らしくないように思えて、ゲンは首を傾げた。
もしかしたら自分の知らないところで、かれは色んな復活者たちに、家族を、恋人を、大事な人間を起こしてほしい、と何度も言われ続けてきたのかもしれなかった。
「いないよ、千空ちゃん。そんな人は」
首を振ってそう言うと、千空はあからさまにほっとした顔をした。それが何だか復活液だけの問題でない気がして、ゲンは頭をめぐらせる。
――そうか、かれは。
千空が逢いたいと願うただひとりの人は。
「俺の欲しいものはもう、手に入っちゃってるからね」
何だか泣きそうなきもちになって、腕の中の尊い人をぎゅっと抱きしめる。
かれのことを誰よりもこうしたかっただろう人の分まで。
この愛情深い、天涯孤独の少年を、めいっぱい大事にしていこう。そして、かれが大事に思ってくれる自分のことも、できる限りは大事にしよう。そう心に決める。
とりあえず、今度遠出する時は忘れず靴を履かなくては。そう思って白い靴を見下ろす。
どうにも汚したくなくて、大事に飾っておきたい気持ちはあるけれど。
誰にも見せずに、自分の宝箱に隠しておきたい気持ちはあるけれど。
――この腕の中の宝物のように。
了
2021年12月31日お礼更新