ゲン千

喧嘩


5417文字。
ゲン千拍手お礼第三弾。拍手ありがとうございます!
前回のお礼(「靴の話」)と微妙に繋がっています。勿論、これだけでも読めますが。
なので、12巻造船中の春の話だと思う。



 夜に閉じる花もあれば咲きほこる花もある。闇に浮かぶ花には凄みがあると初めて知った。
 本拠地の坂を下りながら目についた一角。暗がりの中でも色づいた一角にかすかな光を見た気がして興味をひかれた。
 女こどもには深夜出歩かないよう徹底させている。だからこんな時間に花の咲くような場所に用がある人間は、逢引き目的でなければ一人しかいない。五分五分だと考えつつ、千空はランタンの灯りを頼りに静かに目的の場所に近づいた。元よりのぞきの趣味はない。妙な雰囲気があればすぐに引き返すつもりだった。
 果たしてそこにいたのは、花と同化しているかのような、鮮やかな色の衣を着た男だった。満開の白や紫の木蓮の下、といっても千空からは少し見上げる位置にある大きな岩に腰かけ背を見せている。両手を岩の上についているところから見て、仕込みの最中というわけではないらしい。
 ふだん賑やかで人といることの多いかれが、深夜こんなところに一人でいる理由には、少しだけ心当たりがある。
 案外一人でいることがすきなのは知っている。タネの仕込みと称してたまにふらっといなくなることも。だが、この雰囲気はそういうものではない。
 いいやつだろうが悪いやつだろうが、自分が好きだろうが嫌いだろうが関係ない、必要だからとビジネスライクに味方に引き入れたはずの男だった。相手もそのはずだと思っていた。だがかれはいつの間にか「会う前から好きだった」とか何とかメンタルの問題を持ち出してきて、千空を面倒な心理ゲームに巻き込んできた。駆け引きのかの字も知らない純情科学少年が、メンタリストのそんな勝負に勝てるわけがない。
 だが唯々諾々と流されているだけでは飽き足らないのか、ゲンは時おりこじらせたことを言って千空を困らせてくる。そのたび、ノウハウを持たない恋愛初心者は、出口のない迷路に迷い込んだようなきもちになる。
 この男はひねていて、プライドがバカ高くて、そして情緒にうるさい。情が強(こわ)い。面倒臭くなくふるまえるくせに、案外面倒臭い。そのことを、千空はもう知っている。

「――こんなとこで何してやがる」

 つとめて平静な声を作って下から呼びかける。白い横髪が揺れると、人形のような顔がこちらを振り向いた。驚いた様子はなかった。いつから気づいていた? と考える。

「んー、花と戯れてる」

 のんびりした、悪びれない声だった。それも、うまく繕ったものだ。

「何でだよ」

 相手が下りてくる様子もないことに少々苛立ちを覚え、千空は自らの感情にさざ波がたったことに驚く。

「俺と戯れりゃいいだろ」
「へえ」

 闇の中、相手の目が猫のようにきらりと光った。

「面白いこと言うね」

 そう言うとランタンを手にしてひらりと飛び降りてくる。その身のこなしは案外軽い。御前試合の時も、氷月再来の時にも感じたことだ。
 咲き乱れる白や紫の花の下、先ほどより近い距離の顔にはさすがに生気がある。人形のようではない。
 ゲンの目が細められ、口がゆっくり曲げられるのが夜目にも解った。自嘲するように笑ったのだ。

「探しに来てくれたの」
「花の咲いてるところに灯りが見えたからな」
「それだけで俺だと思ったの」
「すぐに花と戯れたがるだろ、テメーは」

 口を尖らせて相手の言い方を真似ると、ゲンは解りやすく目を逸らした。

「だって、喧嘩したからね」
「喧嘩?」

 千空は首を傾げた。喧嘩した覚えはない。
 覚えがあるのは、「復活液を作るべきか否か」という意見について、かれと少々議論したことくらいだ。

 司帝国との戦争で「奇跡の洞窟」は失われた。だが、硝酸は時間をかければ作れなくはない。氷月と司、そして一部の村人の前では公言したことだ。龍水の前でも言ったかもしれない。何にしろ千空からすれば常識の範囲内で、それを知っている人間がいるからといってどうということもない。
 だが知った人間が二、三人集まり、「硝酸が作れるなら復活液が作れるのではないか。作れるなら自分たちの家族を起こしてほしい」と直接頼んできたのには閉口した。
 予想外だった、とは思わない。当然予想できたことだ。だが正直なところ、千空はその問題についてあまり考えないようにしていた。そんな希望を全部聞いていたらたちまち食糧問題で詰む、くらいの認識は全員が持っているものだと考えていた。それぞれの常識と自制心に期待していたといっていい。
 だが、最近家族の石像を見つけたという者たちに、そんな甘い考えは通用しなかった。

「もしも割れて風化してしまったら。千空たちが航海の旅に出たまま戻ってこられなかったら」

 不吉な予言と、自分たちで作ろうとはしない勝手な理屈に閉口しつつ、話を聞いているうちに千空はだんだん作ってやってもいいかという気になっていった。断るのが面倒だったというのもある。
 だがそこにスイカに注進されたというゲンが現れ、あっという間にその場をおさめた。石像の完璧な修繕と保護を杠に頼むこと、そのような依頼は以前から他に山ほどあること、だから作るとしても順番待ちになり、硝酸を作る期間を考えると結局出航の方が早いこと。ならば石化の謎を解き明かし、復活液も作って戻るのだから待て、というようなことをよく回る舌でぺらぺら喋った。そして、その場は見事におさまったのだ。
 二人きりになった後、千空は聞かずにはいられなかった。

 ――家族が見つかってる人間、そんなに多いのか。
 ――ううん、あれはその場の方便。
 ――なら考えてやってもいいんじゃねえのか。

 涙ながらに訴えてきた者たちの顔が脳裏によぎりそう言うと、ダンバー数のことを説明された。
 「今、これ以上人を増やすとバイヤーよ、科学王国バラバラになるよ」と言われ、その通りかもしれないと思いつつ、千空は人を増やす増やさないの問題をその場で決めることに躊躇を覚えた。
 そんなことは初めてだった。今までゲンの案に反対したことはない。メンタルの問題はすべてかれに任せていた。だが、これは果たしてメンタルだけの問題なのだろうか。
 龍水にも相談してみる、そう口にした瞬間、しまったと思った。ゲンの顔つきが豹変したのだ。
 普段のへらへらした顔から一転、出逢った頃に見せた、内心ひやりとするような表情でかれはこう言った。

 ――千空ちゃん。科学王国はね、千空ちゃんの意見だけでいいの。千空ちゃんの意見しかいらないの。

 一瞬、何を言うのかと思った。あまりにも暴論だった。

 ――そういうわけにいかねえだろ。メンタルなことはテメーに一任してる。人事は龍水だ。この問題はメンタルだけじゃねえだろ。今のはメンタルですむが、もし誰かまた復活させないといけなくなったらどうすんだ。綻びが出るぞ。
 ――今の問題は片付いたんだからいいじゃん。出発までに起こさないといけない人なんてもう出ないよ。それとも、千空ちゃんはいるの? あるいは、頼まれたら断れない人でもいる?

 食い下がってくるゲンの顔は見たことのないもので、千空は冷水を浴びせかけられたような心持ちになった。その表情を見たゲンははっとした顔をすると、適当なことを言って逃げるようにその場を離れた。
 千空は頭を悩ませたあげく、結局龍水に相談することはしなかった。

「テメーの言うとおりでいい。これは、俺が考えたことだ」

 静かにそう言うと、目の前の瞳が見開かれた。普段はそう思わないが、案外大きな目だと思う。

「だが、ちーっと気まずい思いもある。俺には大樹もいれば杠もいる。百夜は死んでるが、レコードもあれば百物語もある。他のやつらに比べりゃ充分すぎるほど恵まれた環境だ。その俺が、人の家族を起こすとか起こさねえとか、本当は言っていい立場じゃねえと思ってる」

 だから、ゲンが言い出したことに意味があるのだろうと思う。家族や昔からの知り合いのいる人間が寄り集まって意見を出したところで反感を買うだけだ。だから、千空は龍水には相談しなかった。

「俺は大樹と百夜以外、知り合いを起こしたいと思ったことはない。――冷てえんだよ。血縁つーものがないからかな、そういう機微が解んねえんだ。知ってんだろ、薄情な合理主義者だって」
「そんなわけ、」
「でも、テメーは違うだろ」

 露悪的に言えば、ゲンが反論してくることは解っていた。だから、あえてかぶせるように言った。

「テメー、ほんとに誰もいないのか。去年も聞いたが」

 夏の話だ。フランソワと共に石神村に現れたゲンに、千空は「誰か起こせとか、ないのか」と尋ねた。「いないよ、千空ちゃん。そんな人は」とゲンは答えた。
 ゲンは千空に家族のことを話さない。友人のことも。慕っていた人間、可愛がっていた人間のことも。恋人がいたりいなかったりしたとか、そんなことをふわっと言うことはあっても、人に関する思い出を語ることはほぼない。
 今回も答えは予想どおりだった。

「言ったでしょ。いないって」

 あっさりそう言って、あきれたように笑った。

「あのねえ千空ちゃん。千空ちゃんが冷たいわけないでしょ。今だって毎日必死に司ちゃんとこ通って、未来ちゃん励まして、早く起こさなきゃって焦ってる。……恋人でもないのにね?」

 千空は眉を寄せた。あまりゲンには触れられたくないことだった。司に対する千空の態度を、ゲンが以前から気にしていることは知っている。

「そんな千空ちゃんが冷たいわけない。ジーマーで冷たいのは俺よ。俺は本当に、千空ちゃんさえいれば後はどうでもいいの。千空ちゃん以外誰もいらないの」
「ゲン」
「冷たいって言ったら、俺が一番冷たいのよ」

 先程の自分に対抗するかのように露悪的に言うが、決してそうでないゲンを知っている。
 だがかれは千空に対して、常にそう言ってはばからない。そういうスタンスを崩さない。

「たとえ誰が隣に並び立ってもね、最後まで千空ちゃんのそばにいるのは俺だよ。最後の最後で全員が裏切っても、たとえ誰もいなくなってしまったとしても、俺だけは千空ちゃんの味方だよ。たとえ陸が海に沈んでも」

 知っている。必ずそうするだろうゲンを知っている。
 その執着を知っていて、その情を強いと思いながら、怖いと思いながら、そのくせ悪くないと思って手元に置いている。あまつさえ、触れることを許している。
 咲きほこる木蓮を背景にゲンがこちらに手を伸ばしてくるのを、千空はじっと見つめていた。
 指が肩にかかる。ためらうような仕草の後、ふいに引き寄せられる。花の香りが、遠くなるのではなく近くなった。

「――ごめんね。俺多分、龍水ちゃんに嫉妬した」
「ゲン」

 肩に頭をつけ懺悔するように言う男に、千空はかける言葉を持たなかった。

「解ってる、千空ちゃんが一人で背負いきれないことを龍水ちゃんが担ってるんだって。だからちょっと自己嫌悪して、人のいないところに来てただけ」
「だから、そういう時は俺んとこに来いよ。俺に言やいいだろ」
「――カッコ悪いじゃん」

 ようやく突破口を見つけいい台詞を吐けたと思ったのに、そんなことを言われ、口をへの字に曲げる。
 このプライド馬鹿高男が。そう思ったが、勿論口には出さない。

「でも本当、厳しいと思うよ。誰を起こす、誰から起こす、っていうのはね。俺たちがいなくなってから起こすんならともかく」

 ゆっくりと背中に手を回しながら、ゲンがなだめるように言う。話をすりかえやがった、と思いつつ、千空はそれに付き合うことにした。

「――ある程度、食糧や資源に目途ついてからにすっか」
「うん。それまで誰も起こさなければ平等でしょ」
「テメー、それ言いたいがために、本当は起こしたいやついんのに我慢してるわけじゃないよな?」

 ふと思いついて再度確かめるように聞く。ゲンはしつこいなあ、と笑った。

「そんなにもっと聞きたい?」

 そう言って背に手を回したままからだを離し、含み笑いをしたままこちらを見つめてくる。

「俺は、千空ちゃんだけいればいいの。千空ちゃんしかいらないの」

 耳元でささやくようにそう言うと、稀代のマジシャンはケラケラと笑った。

「まあ、千空ちゃんはそうじゃないって解ってて、そんな千空ちゃんがすきなんだけどねー?」

 重くならないようそう付け足したのだと解る。この場合、「そんなことはねえ」と言わない自分をゲンは解っている。解っているゲンを知っている。
 千空は目の前の羽織をぐっと握りしめる。ゲンは素知らぬ顔で続けた。

「七十億人が大事な千空ちゃんを好きになったんだから、七十億人、地球丸ごと愛さなきゃやってけないでしょ。でも、たまにそうできない時もあって」

 そう言って息を吸い込み、上を向く。千空も釣られて空を見上げた。
 むせかえるほどの白と紫の花が、夜空に浮かび上がっている。

「二律背反がね、あるわけよ。自分と自分が喧嘩して――ここに来た」

 ――ああ、だから喧嘩か。

 すとんと腹に落ちて、千空は笑った。馬鹿笑いしようと思ったのに、その笑みは案外優しいものになった。

「苦労かけるな、テメーには」
「ジーマーでね」

 わざとらしく嘆息するゲンの態度に、千空は今度こそケラケラ笑う。

「俺、本来こんな尽くすタイプじゃないはずなんだけどなあ」

 自身を嘘つきと言ってはばからないやさしい年上の恋人は、そうぼやくとあきらめたように苦笑した。

                                          了

2022年5月22日脱稿

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