IN SILENCE 前編
IN SILENCE 龍千

IN SILENCE 前編

5548文字。
宝島からの帰還直後の龍千。いつも喚いている長編とは別軸のなれそめです。
3/28、後編をアップしました。前編の訂正は特にございません。


 何か作りたいと思いつき、それが小規模なものなら、自分一人の判断で問題ない。人手が必要でも直接本人に交渉し、作業を割りふることができる。
 だが、時間と場所と素材が多大に必要となれば、誰かに話を持ちかけたくなる。科学王国は千空の私物ではないし、本当にそれが今必要なのか、人手や時間、資源を費やしてまで作るべきものか、相談した方がいい場合もある。
 そういう時、誰に話をするかは決まっていた。
 驚いたり、懸念事項を一番先に口にしたりすることなく、瞬時にこちらの意図を読み取り、その必要性と有用性、製作の難易度を見抜き、必要なものを当てて手配の算段をつける――そんなことのできる人間は、一人しかいない。

「この辺りにダムを作りてえ。俺らの出発後はルリたちに采配を任せようと思うんだが、テメー、どう思う」
「フゥン、古代から治水と利水は重要な課題だ。台風や地震の多い日本においては特にな! 欲しい!!」

 その言葉とフィンガースナップを引き出すことが出来れば、すべてが順調に進むと約束されたも同然である。仕事終わりにはるばる最上階の部屋を訪れた甲斐があったと、千空は胸をなでおろした。
 龍水が新しいクラフト、新しい施設や拠点づくりにおいて賛成しなかったことはない。「無理だ」「無駄だ」「費用対効果が悪い」。そういうマイナスな発想を、この欲しがり屋は一切しない。
 勿論、イエスマンではない。人に危険が及びそうなことや、日程的に無理がある場合は意見し、対案を出してくる。だが、作りたいという希望自体に反対されたことはない。そのことはいつも千空の気持ちを安らかにした。

 復活したばかりの頃は、そんなことは考えられなかった。
 何か提案しただけで値踏みされ、いかに搾取できるかといった顔をされ、少し手を借りたいと言えば対価を求められた。何度か試みた結果、千空は直接かれと話すことをやめてしまったほどだ。
 それが――いつのことだろう、龍水の存在が必要不可欠になりはじめたのは。
 いつからだろう、特に言葉を紡がずとも解り合えることに気づき、愉悦と安心感を得るようになったのは。

「大量に人手がいるな! 土木工事経験者に心当たりがある。かれに聞いて同業者を復活させるか!」

 そんな風に自分の発案を理解し、全肯定し、協力してくれるだけでなく、自分の欲しいものを同じように「欲しがって」くれる人間がどれほどありがたい存在なのか――この男は恐らく知らない。
 時折あまりの太っ腹ぶりや以心伝心ぶりに、うっかり惚れてしまいそうになる時がある。喜びのあまり、無意識にその腕や肩に手を置いて揺さぶりたくなることがある。
 すぐにハグやボディタッチしたがる大樹のような男と、千空はふだん対極にいる。感謝や喜びを体現するとしても、せいぜいハイタッチやフィスト・バンプだ。
 それが思わず感極まって肩を掴みそうになる時があるのだから、龍水とはよほどウマが合うのだと言わざるをえない。

「ククク、いつも話が早くて助かるわ」

 今も簡単な説明と意見交換でとんとん拍子に話が進み、では明日現地を視察するか――と提案された時、そんな言葉が出た。
 「そのうち」「準備が整ったら」ではなく、「明日」である。次の航海まで予定が詰まっている中、瞬時に優先順位を入れ替え、時間を捻出するあざやかさに会心の笑みが浮かぶ。

「――学習したからな」

 龍水は安楽椅子にふんぞり返りながら、感慨深そうに瞼を閉じた。

「貴様を手に入れるには、これしかないと」
「あ゙?」

 自分なりの感謝の言葉から、妙な方向に話が転がっていく予感に眉をひそめる。

「俺はいつでも、いつまでも、千空貴様のパトロンだ。支援者、後援者という本来の意味のな。無論、金銭的見返りも期待できるわけだが、それだけでもない。貴様が大掛かりなモノを作る時は必ず大きな理由がある。だから一文の得にならないことであっても、俺は否やを言わず金を出す。そういう人間だ。覚えておけ」
「どうしたテメー、急にノブレス・オブリージュに目覚めたのか」
「急じゃない、ずっと考えていたことだ」

 目を開けると、龍水は高く組んだ足を組みなおした。長い腕を伸ばしてテーブルの上のグラスを手に取り、優雅に口元へと運ぶ。

「貴様という存在に、俺は全投資すると決めたのだ」

 そう言って、グラスごしに不敵に笑う。

「そういう存在を求めていただろう?」

 試すような目でそう言われ、千空は耳に指を突っ込むと苦笑する。

「あ゙ぁ、正直死ぬほどおありがてえわ」
「――惚れそうか?」

 自信ありげになおも問いかけられ、先ほど「惚れてしまいそうになる」と考えたばかりの千空は一瞬言葉に詰まった。視線を明後日の方向にやりながら、「あ゙ー」とどうとでもとれる返事をする。
 冗談でも、「たまにな」などと言ったら最後、どうなるか解らない。無理やり何かされるとは思わないが、百戦錬磨の達人にとっては経験値ゼロの人間を巧みにベッドに引きずり込むことなど造作もないに違いない。

「うっかりそうなってもおかしかねえほど、テメーはおありがてえ存在だよ、実際」

 珍しく言葉を選んでそう言うと、龍水はわずかに口唇を曲げた。
 時おり――そんなことはめったにないのだが――かれが見せる、静かで透徹した、見ているこちらが切なくなるような微笑だ。
 千空はその表情を見るのがあまり好きではない。龍水にはいつも自信満々に、豪快に笑っていてほしい。勢いと調子にのって食い下がってくればいいのに、とまで思ってしまう。
 そうでなければ――こちらの調子が狂う。
 このタイミングで「じゃあまた明日な」と言って部屋を出るのが一番正解だと解りつつ、ついいらぬことを口にしてしまうのも、調子を狂わされたせいだと思われた。

「テメー、何かないのか、欲しいモンとか、足りねえモンとか。お気持ちの話は苦手だが、それぐらいは感謝のしるしに……」

 作ってやってもいい、と言いかけ、千空は相手の愕然とした表情に気づいて口を噤んだ。龍水は目の前で、人が撃たれたような顔をしていた。
 脳がめまぐるしく回転する。自分はミスを犯しただろうか。言葉遊びの範疇だったはずだ。だが、もしかすると目測よりはるかに面倒な方向に話が発展していたのかもしれない。
 何にせよ、千空は龍水の気分を浮上させたかっただけで、こんな表情をさせたかったわけではない。

「――貴様、俺を馬鹿にしているのか」
「あ゙?」
「それとも試しているのか?」

 龍水の声は低く険しかった。やはりミスったのか、と内心舌打ちをする。
 恐らく不得意分野に足を突っ込んでいる。こうなると、何がアウトで何がセーフなのか、千空にはまるで判断がつかない。

「意味が解らねえ。欲しいもんねえかってのは、初めて会った時とか礼を言いてえ時とか、割と誰にでも聞いてる。テメーにはこれまで聞けなかったがな。聞く前にいつも言ってやがるから」

 投げやりになってありのままを言うと、龍水は口唇を引き結んだ。腕を組んで、深くため息をつき、こちらを睨みつけてくる。

「――言っていいのか?」
「あ゙ぁ? 現状でとりあえず実現可能なもんならな」

 重々しい口調と射抜くような目つきに千空は釘を刺した。

「……クラフトしてほしいものはない。あれば思いつくたび言っている」
「だろうなあ」
「それ以外で、本当に言ってしまっていいのか?」

 強い視線を真っ向から受け止めながら、やはりこの男はこんな顔をしている方が似合う、と考えた。
 今になって藪をつついた自覚が湧いてくるが、出てくるものが何であれ――欲しいと自信満々に言いきる龍水の方がまだ気が楽だ。

「だから、実現可能なものにしろよ」
「俺には解らない」

 徐々に獲物を追い詰める視線と口調になっていた龍水は、そこで急にトーンを落とした。ふいと視線を逸らし、拗ねたような表情になる。
 その自信なさげな態度に、千空はやはり調子が狂うのを感じる。気軽に笑い飛ばせない。「案外テメー自信ねえんだな」と茶化すこともできない。それは何となくアウトのような予感がした。

「言ってみろよ」

 自分にしては随分優しげな声が出た、と半ば感心しながら、千空は寛容なきもちになっていることに気づく。つついた藪から蛇が出ようが鬼が出ようが、とりあえずは様子を見るか、と思うくらいには。
 しかしそんな許容を含んだ声音に、龍水ははっとした表情をすると、常の態度を取り戻した。

「――いや。貴様お得意の等価交換だと思われても困る」
「は?」
「今この流れで言うことではないな。無粋きわまりなかった、忘れろ」

 冷静な船長の顔と淡々とした声でそう言い捨てると、「もう帰れ」と言ってきたから驚いた。

「何ひとりで納得してやがんだテメー」
「話は終わった。明日は早いぞ。さっさと休め」

 有無を言わさぬ口調と視線に、納得できないものの引き下がる。この場でこの話を続けたいわけではない。それは何となく自分に不利な気がする。龍水は、それを慮ったのだろうか。
 かれが必要以上に威圧的に、上からものを言う場合は、相手のことを思いやっていることが多い。

 ――今この流れで言うことではない。

 そういうことなのだろう。もしかしたら、今のような応酬をすることなど、かれの予定にはなかったのかもしれない。

 ――言っていいのか?
 ――本当に言ってしまっていいのか?

 いつでもどこでも、すべてのものを欲しがり、はっきり言葉にする龍水が、言葉にすることすらためらうこと。タイミングを重視すること。
 部屋から出る直前、千空は扉に手をかけたまま室内を振り返る。龍水がこちらを見ている気配がしたからだ。案の定視線がぶつかり、絡み合った。それはしばらく続いた。
 相手が決して視線を外さないことを悟ると千空はため息をつき、「じゃあ明日な」と声をかけて扉を閉めた。

       ◇

 あの視線には、覚えがある。秋の夜風に吹かれ、坂道を下りながら考える。
 時折龍水の視線を感じて、ざわりと肌が粟立つことがあった。視線は時に、言葉より雄弁に欲求を伝える。
 千空は複雑な感情については疎いが、本能的な欲求なら解らないでもない。三大欲求は甘く見ているとこんな世界では詰みかねないから、常に注意を払っているといっていいほどだ。
 体力も腕力もない自分のような男は、この原始の世界では捕食される側だという警戒がいつもある。世界にまだたった三人だけだった時、面と向かって褒めてきた司を、すぐさま「ホモか」と疑ったほどだ。
 倫理観や仲間内の秩序、妊娠の可能性を考えて女には無体を働かない男でも、同性に対しては遠慮がなくなる場合がある。そんな事例をいくつか知っている千空にとって、女だけでなく男も欲しいと言ってはばからない龍水は、そういう意味での警戒が必要な相手だった。
 実際、最初のうちは何度か直截に言われたことがある。「貴様が欲しい」と。まるで挨拶のように。冗談のように。
 本当に冗談だったのかもしれない。単に反応を面白がりたかっただけかもしれない。ただ当時の自分と龍水の距離感で、航海の腕と油田の権利を背景にしてその言葉を口にされると、妙な圧を感じてひどく不快だった。
 ちょうど龍水の言動に愛想をつかした頃、たまりかねてはっきり拒絶したことがある。

 ――俺はテメーの言うとおり石油を見つけて、望み通り船長報酬を払う。そういう契約だよな? 純粋なビジネスのはずだ。まだ上乗せしろっつうのか? 約束違えて要求吊り上げて言うこと聞かせんのがテメーの流儀か?

 龍水は、あっけにとられた顔をしていた。何を言われたのか解らないという表情だった。軽くあしらう、笑い飛ばすなど、余裕のある態度をとるかと思いきや、ひどく衝撃を受けたようだったから意外だった。
 もしかしてコイツ、拒絶されたことがないのか? と感じ、更に釘を刺すためあえてきつい言葉を浴びせた。

 ――まさか断られるなんて思ってもみなかったのか? あのなあ、俺が今のテメーに靡く要素が一ミリでもあると思うか? 舐めてんのかテメー。

 あの時、トパーズにも似た瞳に浮かんだ色を覚えている。
 あれ以来、龍水は「欲しい」という言葉を千空自身に使うことはない。
 だが、視線だけは感じた。むしろ言葉にしていた頃より、その力は強くなったような気さえした。自分の目を覗き込むそれ、頬に注がれるそれ、首筋に絡まるそれに、ぞわりとしたことがある。
 もう慣れたし、無理やり何かしてくるような人間ではないと解っているから、普段は気にせず過ごしている。それが先ほど、踏み越えてきそうな気配があったから驚いた。
 自分が、寝た子を起こしたことになるのだろうか? 抱えていた紙の束が風に飛ばされかけるのを押さえながら、千空は首を傾げる。
 そんなはずはない。珍しい顔で沈黙した龍水に、日頃の感謝も込めて、何か喜ぶようなものを作ってやりたいと思っただけだ。あんなタイミングで、かつて手ひどく拒否した言葉を言ってくるとは思えないし――。
 そこまで考え、千空ははっとして立ち止まる。
 「煽られた」と、もし相手が感じたとしたら?

 ――試しているのか?

 怒気を含んだ声を思い出す。
 もしもあの場で、龍水が「貴様が欲しい」と口にしていたら――? 
 自分は一体、どうするつもりだったのか。
 思いがけない想像に、千空はしばらくその場に立ち尽くした。めまぐるしい計算にも耐えうるはずの脳は、やはりこんな方面においては役立たずのようだった。

       ◇

   続く

2022.02.14投稿

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