司千

牽制


6186文字。
司千拍手お礼第三弾。拍手ありがとうございます!
16巻司二度目の復活直後。
司千久々に恐る恐る書いたけど楽しかった!楽しかった!!
dcst書くの楽しい!どのキャラも大好き!みんな可愛い!!



 わたあめを握った手のすぐそばに、ふわふわした白菜めいた髪があるなとは思っていたのだ。
 距離が近すぎる気もしたが、それほど気にはならなかった。昔から司のパーソナルスペースはかなり広い。だが今は、反対側で話している未来と同じくらいかそれ以上近づかれていたのにも関わらず、まったく違和感を覚えなかった。
 思えば千空には、診察や手術や看病でさんざん様々な箇所に触れられている。既に他人に対する距離感覚ではないのかもしれない。
 だから、

「ちーっと貰うぞ」

 という言葉とともに、自分が手にしたわたあめにかれが口を開けて顔を近づけてきた時、司はぽかんと見ていることしかできなかった。

 自分の食べかけのわたあめに、
 千空が、
 ぱくりと喰いついた。

 一行ずつ改行された大きな文字が頭上に浮かんだ気がして、司はようやく現況を把握した。思わず残されたわたあめを凝視する。

「ん、甘ェ」

 満足げな声に目を向けると、舌で自身の口唇を舐めまわす千空が目に入り、とっさに割り箸を投げ捨ててしまいそうになった。
 湧き起こった衝動にぎょっとして眉を寄せると、聡い友人ははっとした顔になった。未来も緊張感をもってこちらを眺めている。

「悪ィ、その部分千切ってくれ。俺が責任もって食うわ」
「いや、その必要はないよ」

 言わんとすることをすぐ察知すると、司は千空が口をつけた部分をすぐさま食べて見せる。未来以外では初めてのことだった。勿論、何の嫌悪感もない。
 そのことを理解してもらうには、行動するのが一番てっとり早いと解っていた。

「初めてのことで驚いただけだ。別にいやだったとかじゃない」

 それなのに言い訳するような言葉が口をついて出る。千空は白菜頭を掻いて嘆息した。

「あ゙ー、俺は百夜とか大樹とかがこういうの雑だったからな」

 そう言われて納得する。大樹が千空の食べかけのアイスに口をつけたり、千空が大樹のペットボトルを奪って喉を潤す場面を想像するのは容易かった。

「だから懐っこいんだよね、君は意外に。印象とギャップがあって時々驚くよ」
「どんな印象だよ」
「クールというか、慣れ合わないように見えるのに」
「そりゃテメーだろ。俺は合理的なだけだわ。目の前に美味そうなもんあったから貰う、単にそれだけだ」
「――持っていたのが誰でもああした?」
「何が言いてえ」

 千空の片眉が上がる。

「君の懐っこさの問題だよ。例えば、会ったばかりの人間なら?」
「そりゃしねえだろ。あ゙ぁでも、時と場合によるかな。喉乾いて死にそうな時に誰かが水持ってたら、知らねえやつだろうが貰うわ」
「それはそうだ」

 首肯する。至極合理的だ。かれらしい。
 では、先ほどのかれの行動は合理的だったのだろうか。それほどわたあめが食べたかったのか。

「……未来にもうひとつ作ってもらうかい?」

 そういえばわたあめ屋の店頭だったと思い出す。妹が働いているところを千空とのぞきに来て、ひとつ作ってもらったのだ。一口食べて、出来はいいが甘すぎると思い、内心困ったなと思っていたところでの寸劇だった。

「いや、いい。でもテメーがもう食わねえならそれもらう」
「食べないことはないけど――甘いものを欲してるならあげるよ」

 これ幸いと、司は割り箸の持ち手の方を差し出す。

「そうだな、もっと糖分補給しとくか」

 頭脳労働者であるところの千空は、そんな風に言うと割り箸を受け取った。

「悪ィな未来」
「ししし、私知ってるねん、兄さんが甘いものそんなすきやないって。だから、千空さんが受け取ってくれて嬉しいわ」

 未来がそんな風に言って笑い、司はその大人びた様子に目を見張った。
 千空の先ほどの行動は、まさかこの展開を予測したものだったのかと、談笑する二人を見て考える。ありえそうなことだった。おそらく千空は、司が甘いものを得意でないことを未来に聞いて知っていたのだろう。
 二人がいつのまにか仲良くなっていることに、まだ頭が追いついていない。そう気づいて嘆息する。自分はそんなに長い間寝ていたのか、と今さら痛感できた。

 未来と別れ、船着き場へ向かう。今日はペルセウスで千空の気になる箇所の修繕を行う予定だった。
 かれ曰く、力のある人間は繊細さが、細かいことが得意な人間は馬力が足りないのだそうだ。司は自分が繊細だとは思わないが、千空が自分のことを両方兼ね備えていると思い、必要としてくれているのなら嬉しいと思う。表面上は冷静を保っているが、浮き立つような気分があった。
 そんな司とは対照的に、千空は疲れているようだった。目の下の隈が濃い。足取りは確かだし速度も遅くはないが、わたあめを食べる仕草は緩慢だった。だが決して嫌そうではなく、大事そうに食べている。未来がわたあめ屋を開業できているとはいえ、この世界において甘いものが貴重であることには変わりない。
 自分から取り上げる口実というだけでなく、やはり本当に糖分を欲していたのかもしれないな、と思い直す。自身の脳細胞の活性化のためであっても、千空は貴重なものを大量にキープするような男ではない。もしかしたらこれまでもたびたび未来の店に足を運び、わたあめを購入してきたのかもしれなかった。

「よく眠れてるの?」

 疲れているのか、とは聞かない。見れば解るからだ。

「睡眠はきっちりとってる」

 端的に答えられる。それも解っていたことだ。千空は作業が込み入っている時以外、睡眠を犠牲にすることはない。ツリーハウスの数日と、自分が負傷してからの日々で充分解ったことだ。
 だから肉体的疲労(これは最初から除外している)や睡眠以外の理由で疲労困憊しているのだと把握できた。作業や実験がうまくいかないのか。出航前に考えることや心配事が多いのか。自分にもっと出来ることはないか聞いてみるか。
 一瞬にして頭をよぎったさまざまなことを口に出すのを、司はとりあえず保留にした。あまり気にすると、千空は疲れているところを見せてくれなくなるだろう。ツリーハウスでは明らかにそうだった。自分が負傷した時も気丈にふるまっていた。だから今のようなすがたは、以前なら見られなかったものだ。
 実際、疲れないはずはないだろうと思う。まだ十代の少年が皆をまとめ、導き、その生活を支えるだけでなく、人類の存亡をかけて未知の存在に挑もうとしているのだ。前半部分は自分も志したが、後半部分となるとスケールが違いすぎた。かれの負担どころか、その情熱の根源や維持方法すら、司はまだうまく想像できないでいる。
 それでもかれが自分より大いなるものを志し、困難に立ち向かっていこうとするすがたは好ましいと感じた。
 だからこそ自分にしては珍しく、いたわるような、気遣うようなきもちになるのだろうと思う。

「甘いものでごまかすだけじゃなく、時にはきちんと休養をとってほしい」

 口に出して初めて、千空は一日ゆっくり休む暇などないだろうということに改めて気づいた。
 隣の友人はこちらを見ないまま、あ゙ぁと生返事をする。司は更に言葉を紡いだ。

「君の肩には、七十億人の存亡がかかっているんだから」

 皮肉に聞こえないように言うことはたやすくはなかった。千空は驚いたようにこちらを見た。
 赤い眼がゆっくり細められる。それはこの緑と青で彩られたこの道の中で、あざやかな果実のように思えた。

「――七十億人全員救うの、やっぱ気が進まねえか」
「解らない。積極的になれと言われると困るけれど、君の役に立てたらとは思うよ」

 正直なところを口にする。

「君が本当に万人に対して愛を持っていることは解ってきた。俺もそうできるかはともかく、君とその科学を護りたいと思う。それは悪くないことだと思っている」
「お寒いこと言うのはヤメロ」

 口唇を突き出しげんなりする千空に、司は苦笑する。

「本当のきもちだよ。君がなぜ、命がけで人類全員を救おうとするのか、その情熱はどこから来るのか、その果てに何があるのか、俺にはまだ解らない。でも君が俺と争い、殺められてもあきらめず足掻いて理想を果たそうとする、その先にどんな未来があるのか、俺も見たいと思っている」

 赤い瞳が警戒の色もなく自分を見つめてくることに、たとえようのない愉悦を覚える。
 果実めいたそれは甘い味をしているようにも思うのに、司はそれを欲しいと思った。
 いつの間にか二人の歩みは止まっていた。

「あてつけとかじゃなく純粋に知りたいんだ。君が見たいと望むものを、俺も見てみたい」

 木立の中、向き合って重大な事実を告げるかのように言う。
 千空は少しのあいだ司を見上げていたが、やがてゆっくりと口唇を曲げた。 

「いーんじゃね? 一緒に見ようぜ」

 そう言われて微笑を返す。

「うん、だから俺が言うのも何だけど――心身を大事にしてほしい」
「霊長類最強に励まされちまったからなァ、おかげさまでお元気いっぱいになってきたわ」

 けらけら笑って肩に拳をぶつけられ、気やすい態度に心が浮上していく。重苦しいものから解きはなたれたような気分になっていた。

「――君はもてるだろうな」

 思わず口をついて出た言葉に、自分でも驚く。
 口に手を当て首を傾げると、千空も「あ゙??」と言いながら首を傾げていた。

「何となく思ったんだ。そんなことない?」
「超絶美形の最強様がちゃかしてんじゃねーわ。純情科学少年舐めんな。んなわきゃねえだろ」
「それは旧世界での話だろう。この世界じゃ、男女関係なく、誰もが君に惹かれるはずだ。口説かれたり、言い寄られたりしない?」
「しねえわ」

 きっぱりと千空が言う。
 それは単に君が気づいてないだけじゃないのか――そう言いそうになって、司は余計なことを言うのをやめておく。代わりに、自分でも驚くようなことを思いついた。

「――なら、俺が立候補しても?」
「あ゙????」
「ごめん、突然。でも、君がまだ誰のものにもなってないなら、早く唾をつけておきたくて」
「唾って……」

 話の展開に目を白黒させている千空が少し面白い。司は案外自分に余裕があることに気づく。

「霊長類最強様が何言ってやがんだ、男でも女でもよりどりみどりじゃねえか。何でこんなヒョロガリの男なんざわざわざ、」
「君がいい」

 間髪を容れず言う。
 理由などいくらでもありそうで、そのどれでもない気がした。ただ、自分を見上げる赤い瞳をもっと欲しいと感じたのだ。パーソナルスペースが密接距離でも気にならない相手なのだから、こんな方法もありだろうと思う。
 いつか七十億人のものになってしまう前に。手の届かない場所に行かれる前に。

「ゆっくり考えてくれていい。何なら返事はなくてもいい。ただ――できたらあんなこと、誰にでもしないでほしい」
「あんなこと?」
「食べかけのわたあめに口をつけたりだよ。千空にとってはたいしたことなくても、相手はそうじゃないかもしれないから。たとえば龍水なら、そのまま手を出してしまいそうだから」
「な、」

 今度こそ絶句した千空に、司は腰を折り、首を曲げて顔を近づけていく。

「たとえば、だよ。本当はどうか解らない。でもさっき、俺はそうしたくなったから」

 龍水なら恐らくわたあめなど投げ捨てて口唇を奪っていただろう。口唇を舐めまわす千空を見て自分が反射的にそうしたくなったことを、かれならためらわないだろうと思う。

「そんな顔も、誰にでも見せないで」

 自分の動向をうかがう、少し頼りなげな顔。頬にわずかに血の色が差している。緊張し、からだをこわばらせている。だが以前のような警戒が感じられないことが、妙に司の心をくすぐった。
 じりじりと詰め寄っては後ずさられ、自然と近くの木の幹に追い込むようなかたちになる。

「ち、ちーっと考えさせろ。脳がバグってる」
「だから、返事は別にいらない。君が身近な人間にももうちょっと警戒してくれるなら。もっと言えば、誰のものにもならないでくれるなら」

 このきもちを何と呼ぶのか知っている。
 牽制。嫉妬。独占欲というにはまだ早い。
 そして、それらがどこから来るのかも。

「――立候補が当選したら何が変わる?」

 考えこむような表情で千空が言った。可能性があることに気づいて司の心臓が跳ね上がる。面白いほど鼓動が早くなっていくのが解った。

「そりゃあ、君を独り占めしたい。もう誰かにあんなことをしてほしくない。俺だけのものにしたい」
「コイビトってことか」
「そうともいうね。でも、君が嫌なら何もしない。過度な接触も、過度じゃない接触も、恋人らしいことを何もしなくてもかまわない」
「ガチガチな束縛や嫉妬は?」
「――努力するよ」

 見透かされている、と苦笑した。千空は恐らく過度な接触より、恋人らしいやりとりより、そんな濃厚な情念の方が苦手だろう。
 自分が嫉妬深いことを、司は知っている。
 千空に関しては誰に、というわけではない。嫉妬するなら七十億人すべてに対してだ。

「俺のこと殺したかと思えば独り占めしたいとか、テメーほんっと両極端だな」
「両極端」

 鸚鵡返しにして、司はその言葉を吟味した。そうでもあるようであり、ないようでもあった。

「もしかしたら、同じことなのかもしれない。俺だけのものにしたかったのかも」
「おいおい怖ェな」

 顎に手をやり考えながらそう言うと、千空は呆れたように笑った。それがまるで自分の冥い執着をゆるしてくれたようで、少し気分が楽になる。

「ま、テメーがもうちっとお気楽に物事考えられるようになんのなら、そういうのもアリかもな」
「本当かい!」

 いつもの余裕を取り戻し、耳に指を入れた千空が更なる可能性を示すと、司は瞠目して飛びつくように確かめた。目の前の口唇が孤を描く。

「今、テメーの眉間に皺寄ってねえしな」
「いつも寄ってる?」

 思わず眉間を触る。思い出したように手にしたわたあめを舐めながら、千空は「寄ってる」と答えた。

「あるいは憂い顔かだな。そんなテメーが、責任感や罪悪感だけじゃなく何かしたい、欲しいって思うのは悪くねえ」
「その対象が君自身でもかい」
「俺の嫌がることはしねえんだろ?」

 そう言って、割り箸を持っていない方の手を伸ばしてくる。髪に触れ、痛くないほどの強さで引っ張られる。
 首が自然と曲がり、わたあめを境に顔が近づいた。吐息や体温さえ感じられるほどの密接距離だ。
 この距離感でも気にならないことを再確認し、司はふと、もうひとつの大切なことに気づいた。
 千空のパーソナルスペースも、自分と同じく狭くないということを。

 ――近ぇわデカブツ!!

 幼馴染である大樹すら、そう言って過度の接近を避けていたことを。
 わたあめ越しに目が合う。甘すぎるわたあめよりも更に甘そうな赤い瞳を、もっと近くで見てみたくなる。
 司は目を見開いたまま、次の段階を試してみることにした。
 過度でない接触。割り箸を持った手に触れる。掴む。ゆっくりと下ろさせる。千空は微動だにしない。
 次に、過度な接触をするために、密接距離をさらに縮める。
 数十センチから十数センチ、そして数センチ。
 そして。
 ――ゼロ距離へと。

                                         了

2022年5月28日脱稿

2 thoughts on “牽制

  1. ゆっくり距離詰める司千、素敵です。司が積極的で、千空は自分なりに頑張るのに、笑顔になりました。
    距離感好きです。温かくて優しくお話、素晴らしいです。原作を大事にしていて、彼らを温かく見ているなって感じて心が温まります。

    1. ご感想有難うございます💗💗💗 頑張って書いたのでとっても嬉しいです!!
      ちょっといい感じの二人が書きたくて書いた気がします。
      自分の司千には何か足りないのでは…と思っていたので、距離感すきと言っていただけてとても報われました✨
      原作が大好きでメチャクチャ大事なのですが、それが小説から伝わったのであれば本望です…!😭
      とても嬉しいお言葉を沢山有難うございました💕
      また司千書きたいです!気長にお待ちいただけたら嬉しいです✨🙏✨

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