龍千

執着


3482文字。
龍千拍手お礼第三弾。拍手ありがとうございます!
Sweetest Coma Againと同時期に書いてた双子みたいな話。一応別軸のつもり。
拍手お礼では一貫して、龍千長編龍千長編と叫んでいるのと同じ二人を書いている気がする。
そして多分、「いつくしみ深き」も同じ龍千のような気がする…



 ほそい首筋にかじりつくのがすきだ。
 その場所へのキスの意味は執着だったか欲望だったか、かつて覚えたことのないほどのそれらを、千空の首にいだく自分に気づいている。
 とりわけ、うなじにはひどく執心していた。性的な意味だけではない。見たり触れたりすると同時に、この首を折った人間のことを考えてしまう。

 ――獅子王司は、もうこの男を殺さないだろうか。

 そんな疑念が浮かぶ。
 私情でそのようなことをする人間ではないと解っている。妹と自分の命を救われ、今では千空に感謝し、その役に立ちたいと願っているらしいことも。
 だが今後、また科学の発展を恐れて意見が相違するようなことがないと言いきれるだろうか。その時、かれは千空を害さないだろうか。もう二度と、そんな選択肢が生まれることはないだろうか。
 司だけではない。相手が誰であっても、これ以上このからだに傷をつけられるのは我慢ならない。
 白いうなじを見ているとついそんなことを考え、歯を立て、舌を這わせてしまう。

「きずは、ねえよ」

 閨の中、執拗に舐めまわし甘噛みしていると、少し乱れた息の中、千空が呆れたように言った。

「石化からの復活液で修復されてる」
「知っている」

 かれの死と復活の話は、大樹や杠から何度も聞いた。だからそんなことは充分解っている。それなのに、見えない傷を癒すかのように、何度も何度も舌を這わせる。所有印を残すかのように歯を立てる。

「結構、執着心つえぇな、テメー」

 ククッと苦笑混じりに言われて眉をひそめる。そんなことは当たり前だ。

「解ってなかったのか」
「解ってたつもりだけどよ。方向性が違うっつうか、なくなった傷にまで執着するタイプとは思わなかったわ」

 言いたいことは何となく解る。
 感傷的、あるいは文学的――要するに、非合理的な執着心だと言いたいのだろう。

「この首を見ると――どうしても貴様は一度殺されたのだということをつい考える」

 目の前のふわふわした髪が動いたかと思うと、斜め下から夜目にも甘い色をした瞳がのぞいた。
 そこには、何の感情もうかがえない。
 自分の死さえも笑い飛ばし、複雑な人間関係の駆け引きや切り札にできるほどの男だ。冷静で、合理的で、こちらの執着すら手玉にとれるような、切れる人間だと知っている。
 だが、そんな自分に惚れた哀れな男を振り向いてくれるくらいの温情はあるらしい。

「貴様をもし失ったら、と思うと、」

 宝島では、千空は石化されなかった。怪我はしていたが、生きて俺との共闘を望んでくれた。その背を見たから闘えたのだが――万が一千空が目の前で殺されたら。致命的な傷を負ってしまったら。
 咄嗟に動いた大樹と杠のような行動を、俺はとれるだろうかと考える。千空といつまでもどこまでも共にあるつもりなら、そうすることが唯一無二の正解だ。他にはない。
 だがあの日見た、開け放された窓とカーテンが瞼の裏に浮かぶと、あんな喪失感にはもはや耐えられないのではないかと思ってしまう。

「俺に何かあれば、テメーは俺の代わりだ。信じてるぜ?」

 甘くやさしい声で、ひどく残酷なことを、まるで挑発するかのようにささやく。俺がそうできることを微塵も疑っていない様子だ。そんな千空に惚れていると痛感すると同時に、嬉しいようなさびしいような、複雑なきもちになる。

「……そんな顔すんな。さっさとどうにかして石化装置と復活液で蘇らせてくれよ」

 押し黙っていると頭をこつんと叩かれ、さも事もなげに解決策を明示され、苦笑した。

「ああ――解っている」

 やはり、この相手は自身の死などという仮定の話で感傷に耽ることは許してくれない。合理的で、前向きで、ばかみたいに単純明快だ。
 だが、俺自身のことならどうだろう。

「腹違いの兄がいて、気に入っていて、」

 いきなり話を変えると、紅い目が一瞬またたきし、こちらをじっと見つめてきた。
 家族のことを話すのが珍しいと思っているのだろう。共寝するようになった直後は多少話した気もするが、その相手のことは話題に出していないはずだ。

「追い回していたが、あっけなく逃げられてしまってな。それから一目会うこともないまま、世界石化の日を迎えた」

 目を伏せる。
 あの異母兄のことを、何と説明していいのかよく解らない。
 千空とはまったく似ても似つかない。そもそも全然違う感情で、こんな時に話題に出すのは本来おかしい。

 ――だが、失いたくないというきもちは同じだ。

 女々しいことを言っている醜態に耐えられず目を逸らすと、千空は体勢を変え、珍しく俺を抱きしめて目線を合わせてきた。

「――どこにいんのか解ってんのか?」
「大体はな。だが、国外だ」
「じゃあ、落ち着いたら探しに行こうぜ」

 そう言うと伸びあがって額にキスしてくる。羽がかすめるようなくちづけと救いの言葉に胸がつまった。
 七十億人を救おうとするその一方で、個人が個人に向ける情も執着も理解し、許容し、願望をかなえてくれようとする。まるで神か仏の所業だと思う。そんな稀有な存在が、こうして触れられる距離にいて、惹かれずにいられるわけがない。
 だが、それはきっと自分だけではない。家族を救われた者はことのほか多い。獅子王司のような男であっても、おそらく惹かれずにはいられないだろう。
 ならば害しはしないだろうか。あるいは、もっと違う意味で奪われるだろうか。

「貴様を失いたくない。ずっと共にいたい」

 強く抱きしめ返す。頬ずりするように頬を触れ合わせ、顔じゅうにキスの雨を降らせる。

「貴様に拒絶された時、俺はまたやり方を間違えたのか、また失うのか、と恐ろしかった」
「いつのこと言ってんだ」

 喉を鳴らして千空が笑う。かれが自分をはっきり拒絶したことは、後にも先にも一度しかない。
 それからは、呆れるほど忍耐強く許容し、俺の我儘に付き合ってくれている、と思う。

「――あれは人生で二番目に堪えた」
「そりゃ悪かった」

 癒すように、なだめるように、荒れた手が俺の前髪を掻き上げる。こんな甘やかす仕草も、普段なら与えられないものだ。

「もう個人に向かっての『欲しい』はちーっと控えろよ? 誤解する人間も出るわ」
「フゥン。欲しいものを欲しいと言ってはいかんのか」
「言うなら理由付きで言え、松風に言ったみたいに」

 首を傾げる。確か、その腕を見れば欲しくなると言った気がする。

「あと、女はどう言っても多分誤解する……と思うからヤメロ」

 そう言いながら目を逸らした千空を見て、ぱっと閃くものがあった。現金なもので、一気に心が浮上する。

「千空貴様、妬いたな? 今、何か想像して妬いただろう」
「――悪いのか?」
「はっはー! 悪くない。むしろ凄くいい!」

 逃げを打つ肩を抱き込んで高笑いする。宝を抱いているような気分だった。
 もぞもぞと俺の胸に顔を埋めた千空が、拗ねた声で反論するように言う。

「テメーだってさっき妬いてただろ、司に」
「俺はいつも司には妬いているが?」

 鼻先をふわふわかすめる白菜頭を回り込んで顔を覗き込むと、愛しい相手は面食らったような声を上げた。

「あ゙?」
「それを言えば、大樹にもクロムにもゲンにも妬いている。貴様が大事にしているすべての人間に。いつも」

 何度抱こうがまったく自分のものだなどとは思えない相手に、何百回、何千回目かの口説き文句をささやく。

「だがそれらを大事にする貴様ごと、すべてを欲しいと思っている。貴様が七十億人が大事なのだというなら七十億人、世界中丸ごと」

 熱烈な愛の告白に、千空は呆れたように笑った。

「欲張りだな」
「ああ、欲張りだ」
「でもその執着心、嫌いじゃねえ」
「それはありがたい」

 強欲で執着心の強い自分を嫌いでない、そんな千空を知っている。
 この欲や執着ごと俺を包み込み、好きにさせてくれていると知っている。
 だがそれが、愛情なのか恋情なのか、はたまた好奇心か、合理的判断からくるものなのか、その心をはかるのはまだ難しい。
 慈悲深く、ある種残酷なこの世の至宝を、わずかな時間自分だけのものにするために、俺はゆっくりとくちづけを落としていった。

                                          了

2022年5月15日脱稿

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