ゲン千

紫のひともとゆえに

2754文字。
秋の彩りとゲン千。
秋の石神村で既にいい感じになっているということは、このゲンは速攻タイプだな…と書いてて思いました。



 吊り橋を渡りきった後、まっすぐ科学倉庫に向かうのではなく、採集がてら回り道をして帰ることがある。思いもよらない薬草が生えていたり、珍しい実が生っていたりするからだ。
 石神村では初めての秋だった。日差しは強く気温も高く、今日は採集日和だと、千空は大回りして帰ることにした。
 空は抜けるように青く高く、時おり吹きつける風は肌に心地いい涼しさである。夏のむっとするような濃い匂いではなく、さまざまな花や実が放つ、かぐわしい香りが鼻をくすぐる。
 秋の気配に辺りを見回すと、以前より構成する色の数が多くなっていることに気づいた。
 見慣れた緑や土色、枯葉色だけでなく、赤や黄色、オレンジ、紫と、生命力に満ちた色が視界に広がっている。ああ、世界はこんなにもあざやかだったのかと、思わず顔をほころばせた。
 そういえば去年もこの時期、初めて世界に色があったことを思い出した。
(大樹が起きたからだ)
 それまでは、夕焼けと炎の色以外、色あざやかなものはなかった。大樹が起きて、葡萄やキノコや様々な食糧を採ってきてくれて初めて、色を楽しむ余裕ができたのだと思う。
 今は――食べるもの以外の色彩にも、目を向けられるようになっている。そのことを、千空は自覚していた。
 少し先で、紫の実に顔を寄せ、秋を満喫している男のすがたがある。その上着も中着も帯も、石世界では珍しい、あざやかな色が使われている。思えば派手な男だ。

「ムラサキシキブか」

 色彩ゆたかな男のそばに近寄り、その手に握られた枝を見る。古来から自生してる植物だ。日本らしさと秋らしさを備えた実の色味に、何となく心が和む。

「綺麗だよね~~。秋の彩り、って感じだよねえ」

 枝を折るそぶりも実を採るそぶりもなく、濃い紫の色をただ楽しんでいる様子で、ゲンが言った。

「テメーとお揃いだな」
「そうなんだよねえ、親近感湧いちゃって。こういう色味の紫もいいね」

 ゲンの上着はもう少し薄い色だ。ムラサキシキブの実ほどに濃い紫に染めるには、少し科学の知識が必要かもしれない。紫根染めではなく蘇芳染めで、さらに鉄媒染で――などと考えはじめ、千空は自分が、かれの着るものの染色をしてやってもいい気になっていることに驚く。
 衣類の着心地や防寒対策を工夫するならともかく、色に手間暇をかけるなど、非合理以外の何ものでもないというのに。

「そういう色の生る実は、珍しい。食べるには向いてねえが、まあ観賞用には悪くねえな」
「なになに千空ちゃん、紫好き?」

 一瞬の内に錯綜した感情を隠すため適当なことを言ったら、意外にも食いつかれた。あまり考えたことがなかったが、嫌いな色ではない。今では――むしろ、好ましく思う。
 勿論、そうは言わないけれど。

「嫌いじゃねえな」

 そう言うと、すぐそばで腰を折ってこちらを見上げている男の瞳が、ゆっくりと細められる。

「へえ? それって、もしかして、」
「戦争中には見られない色だったっていう意見もある。だから、テメーがそういう色の服でチャラチャラしてんのは、まあ悪くねえんじゃねえの」
「チャ、チャラチャラって、ドイヒー」

 何か違う言葉を期待していたらしいゲンが泣き真似をする。予想どおりの展開ではあったが、千空は気分が上昇するのを感じていた。忙しい日々の合間に、こういうやりとりはたまには悪くない。

「全員が獣の皮そのままみたいな殺伐とした恰好より、そういうのが一人くらいいてもいいだろ」

 その方が、何となく文明の香りがしないでもないし。
 そう思いながら、身を起こした男のすがたを改めてながめる。本当に、野蛮さからはほど遠い雰囲気の男だ、と思った。上品な紫が似合うし、それでいて嫌味がない。女っぽくもない。絶妙なセンスは、さすがは元芸能人だといえた。

「その服、杠に作ってもらったのか」
「うん、かなり我儘言っちゃった。でも染めるのは手伝ったよ。全部自分でやるって言ったんだけど、杠ちゃん、『今までこんな色指定してきた人いないから』って面白がっちゃって」
「へえ」

 思わず笑みがこぼれる。その光景が目に浮かぶようだった。

「メンタリストテメー、やるじゃねーか、って顔してるね」
「あ゙ぁ、そう思ってた」

 心の内を言い当てられて苦笑する。

「芸能人様にそういう矜持があんのは嫌いじゃねえ」
「芸能人ってより、まずマジシャンだかんね、俺。地味なマジシャンて嫌じゃない? デーハーでなんぼでしょ」
「ああそうか、マジシャンの服に手間暇かけんのは、そんなに非合理的じゃねえのかもな」
「でっしょ~~? 今、冬用の服作ってるんだけど、やっぱ染めよっかなー?」

 手を顎に当て、上を向いて思案しはじめた男に向けて、千空は口唇を曲げてみせた。

「じゃあ、今度は俺が手伝ってやるよ」
「ジーマーで!? ゴイスー嬉しー!! 千空ちゃんが俺の服作るの手伝ってくれるなんて! 男っ前~~!」

 目をきらきらさせながら飛びついてくる相手の単純さに口唇が限界まで上がり、ついには破顔する。
 世界はあざやかなだけではなかった。今では、輝いて見えた。
(どんな恋愛脳だよ)
 自分にあきれながら、去年とは確実に違う自分の心境に興味を覚える。
 去年はそばに大樹がいた。心強く、楽しかった。それは今も同じだ。
 その上で――浮き立つような、それでいて安らぐような気分がある。
 相手の恋心のようなものがほの見えて、それがどうやら、自分を浮き立たせたり、安らがせたりするらしい。
 同時に、自分も相手を大事にしたい、甘やかしてやりたいというきもちが込み上げる。そのために、まず自分が強くありたい、と思う。
(何にせよ、色ボケにならないで前向きになれるのはおありがてえ)
 さすがはメンタリストというべきか、ゲンは面倒くさいことを言ったり、求めてきたりすることはない。その恋は絶妙にコントロールされていて、自分を縛りすぎず、翻弄しすぎず、邪魔になるようなことは決してない。ただただ、圧倒的な力で前を向かせてくれる。
 自分のやるべきことを自然と自覚し、前へと歩き出させてくれるような。そんな相手がそばにいて、自分を好きでいてくれることは、とてつもなくありがたいことだと思った。

「まあ、もうコーラって季節じゃねえからな」

 釣った魚に餌をやらない狭量な男じゃねえんだよ、と言外に言うと、解っているのかいないのか、ゲンはにこりと笑った。それをまた、まぶしいもののように感じる。

 殺伐としたこの世界の中で、色あざやかなもの。きらめいて見えるもの。
 その存在によって、世界が豊かに見えるもの。
 希少な貴石のように、それを大事にしていきたい。心からそう思った。

                                    了

2021年11月2日 twitterへ投稿

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