デスペナルティ
3323文字。
南米負傷後司千。「看病」というより「治療」かも? 出来てる二人。
また禁忌の光が発動し、胸の傷が美麗になったとしても。
血を流す司のすがたに未だ慣れない。
血の色が似合わないわけではない。返り血ならば大いに解る。だが、彼自身の血が流れるのは想定外だ。他のどんな人間が傷つき倒れる場面でも、霊長類最強には無傷でいてほしい。彼の血は、そのままイコール敗北や死をイメージさせて味方の士気をくじく。自分の心臓にも悪い。
「霊長類最強がダラダラ血ィ流すのは解釈違いもはなはだしい。脳がバグるからやめてほしい」と真剣に頼むと、司はとまどったように首をめぐらせてこちらを見た。
千空は見返すことはせず、左肩の治療に集中する。確かいつかもこんなことをやったと思い出す。あの時は失われていく命の感触が恐ろしくて、手の震えが止まらなかった。あの怪我がトラウマになっているのかもしれない。
「それは――うん、勿論そうしたいところだけれど」
司は多少気落ちした声で言った。
彼はショットガンの攻撃を予測し、皆に注意をあたえ、自身も可能な限り避けようとしたが、手練れの狙撃手に撃たれたのだ。着込みもつけていたし、利き腕側でもなかった。被害としては最小限だったし、彼に非のあろうはずはない。
理不尽なことを言っているとは承知の上で、千空はなおも苦情を並べた。
「テメーを治療したり看病したりすんのは嫌いだ。だからもう怪我すんじゃねえ」
乱暴に言うと、手早く包帯を巻いて、仕上げに背中をばしんと叩く。多少傷に響くかもしれないが、この男には屁でもないだろうという判断だ。
座っていたタイヤから腰を上げる。あたりは既に夕闇に包まれ、少し先では野営の準備が着々と進められている。
「勝手なことを言うね」
先に戻った氷月の様子を目で追っていると、伸びてきた手に腕をとられ、たちまち下方に引き戻された。それもタイヤの上ではなく、胡坐を書く司の腿の上に座らされる。
「君こそ、もう二度と怪我しないでくれ。離れた場所で、狙撃されたとだけ伝えられる俺の身にもなってほしい」
顔面も最強の人間に、額を合わせた状態で睨めつけられ、視線を逸らさずにはいられない。
「状況的に任務を放棄することもできない。動揺を見せて味方の士気を削ぐこともできない。あげくのはてに、知らない女性の声で『千空が彼氏になった』と報告が入る……」
「あー、悪かった」
いたたまれず、耳を搔きながら謝罪の言葉を口にする。
至近距離でばさりと長い睫毛が下ろされたかと思うと、軽く口唇を食まれる。ひらけた場所での大胆な行動に驚いていると、圧の強い顔はそのまま滑り落ち、千空の胸の上に着地した。
傷に響かないよう制御された力加減と、いたわるように癒すように頬を擦りつける仕草の甘さに、胸の奥がうずく。
思えばゼノ拘束に成功してから、二人きりの時間はほぼなかった。目的を完遂し、結果的に皆の窮地を救ったこの男に、いたわりや感謝の言葉を口にしたこともなかったように思う。
なじるように無理難題を迫ったのとは一転、千空は司を甘やかすことに決めた。飴と鞭は使い分けが肝心である。
長い髪に埋もれた耳に顔を寄せると、己に出せる限界まで優しげな声を絞り出してささやいた。
「そんな中でも、ミッションコンプリートしてチェックメイトきめられるナイト様にほれぼれするわ。霊長類最強が自分のものだっつー優越感やべー」
クククと笑い、額に軽くキスを落とすと、信じられないというような顔でこちらを見上げてくる司と視線がぶつかる。今度は避けない。
司の視線を受け止めるたび、彼の眼は言葉よりよほど雄弁だと実感する。そして自分も、長い睫毛にふちどられた完璧な造型の瞳を見ると、脳で考えるよりも早く体が反応する。
背筋が痺れ、鼓動が早くなる。魅入られたように動けなくなる。敵対していた時代は恐怖かと思っていたそれらの反応も、未だに繰り返していればおのずと答えは出る。
そうして相手も同じであれば、非合理的だからといって互いの反応を無視することもできない。こんな状況下ではうだうだ悩む暇すらない。
「恋愛脳は厄介な時もあるが、仙豆食らったみたいにお元気いっぱいにもなれんだな。テメーのハグやキスや可愛いヤキモチで疲労回復効果抜群だわ。おありがてえ」
口唇を曲げて嘘いつわりない気持ちを言葉にすると、司も破顔した。
「俺も思ってた。こうしていると、信じられないくらい痛みや疲労が気にならなくなる。癒されて、力が湧き出てくる」
まわりくどい謝罪と赦し、おさえた思慕の吐露。
今この場の自分たちには、恐らくこのくらいでちょうどいい。
「俺は君と君の科学を守りたい。だからこれからも怪我をしてしまうと思う。うん、それでも、君には揺らがないでいてほしい」
「あー、そいつは無理だな。テメーが氷月にやられた時さんざん揺らぎまくったし、今も若干揺らいでるわ」
「じゃあ、揺らいでもいいから、手当してほしい。嫌いなことをさせて悪いけど」
薄い胸から顔を離すと、司は千空を膝の上で抱え直した。再び顔の距離が近くなる。
「俺は君に治療されたり看病されるのは嫌いじゃないよ。その時間だけは、君の瞳は俺だけを見てるから。君を独占できるからだ」
「物騒なことを考えるのはヤメろ」
千空は照れ隠しに、相手の瑞々しい頬の肉をむに、と掴む。こんなことを霊長類最強の男にできるのは、肉親の他は自分だけの特権だろうと思い、また優越感をくすぐられる。
だから、つい、言ってしまった。
「別に――そんなんしてなくたってな、」
伸びあがって相手の首に手をまわし、「俺はテメーを見てるよ」と耳元でささやく。耳の裏から司本来の体臭が漂い、全身の力が抜けていく。安心して、身も心もゆるゆると緩んでいく。
「最初に北米で襲撃受けた時も、その前にテメーが異変感じたことにすぐ気づいた。テメーがリラックスしてりゃ危険はないんだろうし、何か警戒してんならその可能性があると思ってっからな」
「うん? 俺を危険度のバロメーターにしてるということかい?」
「ああ、視診のついでにな。メンテナンスの必要がないか、万全の状態か、自分のナイト様のことは常にチェックしてるわ」
「それは……」
司は初めてそこで盛大に赤くなった。千空の鼻の横にある耳まで朱色に染まっている。
「俺は――自分が思っていた以上に、君に大事にされているみたいだ」
腰を抱いていた手が片方外され、目の前の口元が覆われる。
動揺している司が可笑しくて、いとおしくて、千空の機嫌は一気に浮上した。先ほどまで低迷していたというのに現金なものだ。
「おー、大事にしてるわ。だからメンテナンスはいいが、修理させんな。極力怪我しないように闘いやがれ」
「解った……」
今度こそ、千空を引き合いに出さず、司は素直にうなずいた。
それでも必要があれば、彼は自分の身を投げ出して戦うだろう。身を挺して千空を庇うだろう。そうする司のことを千空は知っていた。
そして、彼が血を流すすがたに自分が慣れることはないだろう。彼が死ぬような目に合えば、たとえ石化して復活させられることがもし確約されていたとしても、動揺し悲嘆するだろう。
仮に一ミリも顔に出さなかったとしても、表情よりもよほど雄弁な、手の震えを止めることはできないだろう。
当たり前だ。自分たちは木石ではない。血の通った人間で、恋人同士で、そんな言葉では追いつかないほど唯一無二の相手だからだ。
今でも、司が氷月に貫かれた瞬間が、氷漬けになった瞬間が、脳裏にフラッシュバックして肝が冷えることがある。コールドスリープ期間の焦燥と喪失感を思い出し、胸がざわつくことがある。
あんな想いはもう二度としたくない。
石化装置がもし手に入り、またあの禁忌の光を発動させられるとしても。それを制限なく使えることになったとしても。いつかこの胸や相手の肩の傷跡が、あとかたもなく消えてなくなったとしても。
受けた傷の痛みや衝撃を忘れることはない。
失うことへの恐怖に慣れることは決してない。
自分たちは人間だから。傷つけば血を流し、失えば涙を流す、脆くはかない体と心を持った生き物だからだ。
――もう二度と。
了
2021年07月04日 twitterへ投稿 司千1weekドロライ お題【看病】