龍千

therapy


4268文字。
「IN SILENC」の二人。北米行きペルセウスの中で。出来てる二人。
千空ちゃんが割と甲斐甲斐しいことしてますので、そういうのが嫌いな方はご注意。甘いです。



 ペルセウスの食堂で千空がゲンと雑談に興じていたところ、背後からひかえめな声がかけられた。

「千空様」

 見れば、コック姿のフランソワである。手にはランチボックスと水筒を乗せたトレイを持っている。

「お話中失礼いたします。よろしければ、こちらをお願いすることはできますか?」

 お悩み相談室の報告から、ちょうど雑談にうつったところだった。むしろ断る理由のないそのタイミングは、神がかっているといえた。

「あ゛ぁ、了解」
「手を離せず申し訳ございません。よろしくお願いいたします」

 微笑し最敬礼するシェフからトレイを受け取ると、ゲンがしたり顔で頷いた。メンタリストは流石というべきか、誰の分? などというような野暮は言わない。

「あっちも今手離せないもんねー。オッケ~~、しばらく誰も行かないようにしとくねー!」
「そんなお気遣い一ミリもいらねえわ」

 いかにも気をきかせてやるという顔つきのゲンに、千空はげんなりして見せる。

「またまた~~! 我らが船長にだってメンタルケアは必要でしょ~~? でも龍水ちゃん、俺には絶対相談なんてしてくんないし」
「言ってろ」

 舌を出して席を立ち、お節介に背を向ける。
 ゲンの言うことは、当たっているのかもしれなかった。ここのところ微妙な天候が続いており、龍水は交替を申し出る声をほぼ断って、一日中操舵室に張りついている。多少の息抜きは必要だろう。
 階段を上りながら、揺れるこの船を今動かしているのは、まぎれもなく龍水本人なのだと考える。
 自分が望み、起こした神腕船長で――今では恋人でもある。改めてそう認識すると、心臓のあたりがぎゅっとする感覚があった。
 これから向かう先は死地かもしれないのに、出発前に最後まで抱き合ったことがよかったのか解らない、とたまに思うけれど。
 宝島の時よりも、千空は船の中で龍水の存在を強く感じるようになっていた。顔を合わせていない時でも、いつも身近に感じる。ペルセウスとかれと自分とが一体となっているような感覚は、悪くはなかった。むしろ、驚くほど安定感と安心感がある。
 面はゆい心持ちで扉を開ける。天候が微妙なのにもかかわらず、広い操舵室に龍水は一人だった。思わず伝声管を見る。メンタリストが何か小細工したのか、と眉をひそめる。
 振り向いた龍水は、こちらを見るとぱっと嬉しそうな顔をした。八重歯の見えそうな、千空のすきな笑顔だ。だが、張りつめているものがほどけた印象はない。いまだ仕事中の男の雰囲気だった。

「皆が出て行ったかと思えば、まさか貴様が飯を運んでくるとはな。フランソワか?」
「あ゛ぁ、ご明察」

 恋人としてどうかと思うが、操舵室にこもる龍水のため食事を運んでやるという発想は千空にはなかった。これまでは交替しているのを知っていたし、必要な時はフランソワが運んでいたからだ。
 龍水の忠実な執事は、それを自身の役割だと認識しているようだった。なのに今日は、千空に謝りながら依頼してきた。何らかの含みがあるのだとは察知している。
 恋人の精悍な顔には疲れが滲み出ていた。目には輝きがあり、生気に満ちてはいるが、色艶の落ちた肌と目の下の隈が、かれ独特の凄みを増している。
(――癒せってか)
 食事を差し入れることすら思いつかなかった自分である。得意分野であろうはずがない。うまく出来るのか首を傾げつつ、千空は恋人に近寄った。操舵スタンドに余計なスペースはなく、トレイを置くことはできない。

「ここで食うのか? 見とくだけでいいなら俺が見とくが」

 ちらりと後方のチャートテーブルを見やる。だが龍水は首を横に振った。

「いや、食わせてくれ。しばらくは手が空かん」

 とんでもなく甘えた言葉に、ほんとかよと思わず眉が寄る。だが舵棒を握る手の力強さと、空と波を注視する目の真剣さは本物だった。
 狂言だったとしても、この男のストレスをそんなことで少しでも癒せるのであれば、使わない手はない。しごく合理的に考え、頭を切り替える。
 フランソワが運びやすく、食べやすくアレンジした料理の数々は、「食べさせやすく」もあった。順番さえ、見ればすぐ解るようになっている。千空は何も考えず、彩りよく盛られた料理の数々を、ただ相手の口元まで運んでやればよかった。

「おら」
「ん、」

 差し出したサーモンとチーズのブルスケッタに、龍水は少し身をかがめるようにして、目を閉じて喰いついた。龍水の顔の中で一番印象的な目が閉じられ、うすい瞼と長い睫毛が大写しになると、途端に印象が変わる。相手が食べ物を咀嚼して嚥下するさまを見ながら、きれいだな、とぼんやり思った。
(何を考えた!?)
 自分の頭に浮かんだ形容動詞に動揺するも、千空は何とか冷静さを装い、次の前菜を差し出す。龍水は時おり前方を確認しながら、無駄口をきかず黙々と食事を続けた。余程腹が減っていたのかもしれない。これからは差し入れを考えるべきだな、と、フランソワに頼りきりの現状を少々反省する。
 この距離とやりとりは、驚くほど密接で親密だった。つまり、恋人向きのシチュエーションである。食事を手ずから食べさせるなど、子どもか病人か動物相手でなければ普通はしないだろう。状況次第では自分以外の人間が龍水にこんな風に食べさせるのかと考えると、流石にあまりいい気はしない。

「水をもらえるか」

 そう言われ、黙って水筒を開ける。揺れる船内で上手く飲ませられるだろうかと懸念していると、龍水は苦笑して手を伸ばし、あっというまに竹の筒を搔っ攫った。半分ほど中身を乾すと、そのままドリンクホルダーにおさめる。

「肉が欲しい」

 続く要求に、牡丹肉リエットを箸で掴む。今日のメニューにはなかったものだが、一人奮闘している船長に精をつけさせることを考えれば当然の配慮だろう。
 肉を噛みしめる龍水の表情は満足気で、獰猛な色があった。何だか見てはいけないものを見た気になる。口唇や頬の動き、食べたものが喉をありありと通っていくさまに、何故だか妙に色気を感じてしまう。
 さりげなく視線を外し、ランチボックスから次の料理を箸で掴む。掴んだとたん腕をとられ、早く寄越せとばかりに開いた大口に箸を誘導された。

「手ェ空くんならテメーで食えよ」

 久々の接触にゾクゾクしたものを覚えながら、千空はあきれた口調を装って言った。一口に鮪のステーキを頬張った龍水が無言で首を振る。タイミングを見ているのだと言いたいのだろう。
 咀嚼を終えた男に腕を掴まれたまま、舐めるように上から下まで見られる。この視線はよく知るものだった。ぎゅっと目を閉じ、このまま自分も噛りつかれるのだろうか、と考えているとあっけなく手を離された。

「一口喰えばもっと欲しくなるからな。やめておく」

 溜め息とともに吐かれた言葉に思わず苦笑する。笑いながら千空は、自分が物足りなさを感じていることに内心驚いていた。

「……まだ休憩できねえの?」

 龍水の言葉は、まだ交替がないことを示していた。確認する声のトーンが普段より落ちていても仕方ないだろう、と開き直る。

「もう少しすれば風が落ち着くから司と交替して寝る。この海流さえ抜ければ安定するから、本格的な休憩はその後だ」
「ほーん」

 仕事をする男の顔つきに、何も言えなくなる。無理するなとも、もっと休めとも、自分の立場で言えるはずがない。何しろ、大圏航路を望んだのは千空自身なのだ。
 改めて、本当にこの男は替えの効かない人間なのだとつくづく思う。風の動きがすべて見える?海の流れも読める? 本当におかしい。チートすぎる。一人で何役もこなしすぎである。その分、疲労も激しいのだろうか。
 珍しくいたわるようなきもちになって、千空は相手の手を掴むと、その腕に額をこすりつけた。ぎょっとしたように龍水がこちらを見たのが伝わる。だが何も言わずじっとしていると、相手のからだから少し力が抜けたのが感じられた。
 そのまま、無言でただ互いの体温と鼓動を確かめ合う。言葉を持たない番の動物が寄り添っているようなイメージだった。
 はあ、と深いため息が頭上から降ってきて、ちらりと視線を向けると、ひどく穏やかな目がこちらを見つめていた。

「この航海前に貴様を手に入れられて、本当によかったと思ってな」

 出発してから何度か考え、ここに来る前にも浮かんだ疑問だった。どうやら、龍水の方は明確な回答を持っていたようだった。

「愛する人間とのスキンシップや甘い時間は何よりの癒しだ。なければ、流石の俺も限界だったかもしれん」

 そう言いながら片手で腰を抱かれ引き寄せられて、目を閉じて相手の胸板に顔を擦りつける。既に懐かしいと思える体臭に包み込まれ、千空は大きく息を吐いた。途方もなく安心し、放心する。
 頤に手をかけられ頬に頬を擦りつけられ、口唇を寄せられて、動物がこんな仕草をする理由がつくづく解った気がした。言葉は本当に必要ないと思われた。
 その一方で、先ほどの龍水の言葉を思い出す。初めの頃は自分のことを「好きな人間」だと言っていたのに、今では「愛する人間」に変わっている。そんな変化に気づくのも、悪くはない。
 しばらく互いの肌を堪能し、至近距離で見つめ合う。

「落ち着いたら好きなだけ甘やかしてやるから、今は気張って働いてくれ」
「フゥン、言われなくても」

 一瞬だけ、噛みつくようなキスをどちらからともなく仕掛け、すぐにからだを離す。あまりくっついていると離れがたくなることは解っていた。

「今日は飯を食わせてもらったが――次は千空、貴様を喰いたい」

 妙に真剣な顔であからさまに求められ、どきりとする。
 不敵な顔で余裕を持って言われていれば、うまくあしらえただろうと思う。だがこんなひたむきに、切なげに、何なら縋りつくように言われると、胸がざわつかずにはいられなかった。
 千空は今でも、恋人の真摯な態度にひどく弱い。

「……準備しとくわ」

 何と返すべきか解らなくて、熟考したのち絞り出した言葉に、龍水がぱっと顔を輝かせる。八重歯の見える笑顔がひどくいとしい。
 幸福感に自分も笑い出しそうになって、千空は顔を引きしめた。
 癒しに来たはずが、癒されていることにはもう気づいていた。

                                          了

2022年9月6日twitterに投稿

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