龍千

Kissから始まるロードマップ


10,610文字。
そんな雰囲気のかけらもなかった二人が、航路のことで揉めて、わちゃわちゃしてるうち、何故かうっかりキスしてしまって…という、気持ちよりキス先行の龍千です。
「ご新規開拓には馴れ初めから!!」という分析により、性懲りもなく馴れ初め話。
当社比可愛い話を目指したのですが、冒頭は少し硬いかもしれません。続くかもしれず、続かないかもしれず…



「龍水、今後の話だ」

 千空がそう言って龍水の部屋を訪れたのは、宝島から帰還した翌日の夜のことだった。
 プラチナと石化装置を手に入れ、司も復活し、科学王国が抱えていた問題はひとまず解決した。千空の腕の傷もそれほど深いものではなく、懸念していた龍水と司の関係も何とかなりそうだ、と笑ってメンタリストが帰ったばかりのタイミングである。
 当初の目的は果たしたが、次の問題が発生していた。ホワイマンが月面にいると判明したのだ。明確な攻撃意思も見てとれ、復活を遂げようとしている人類がいつまた滅ぼされるか解らない。
 問題があれば目標を定め、ロードマップを組み、即座に行動に移すのが石神千空という男である。短い付き合いではあるが、龍水はそんなかれを既によく知っており、信頼もしている。
 だがもう少し、あと一晩くらいゆっくりできないのかという思いもあった。昨夜は泥のように眠ってしまったので、今夜はこのたびのあれこれを反芻し、必要があれば記録し分析して、次の航海に役立てたかった。だがそんなことを言ったところで、鼻で笑われるのは目に見えている。
 龍水は一瞬躊躇したことを隠すように、黙って客を招き入れた。立体ロードマップを使って今後の展望を語った直後、船長の自分に細かいことを説明しようとする気持ちは、まあ解らないでもない。
 戸棚からグラスを二つ取り出し、居間のソファへと誘導する。カセキに特注したそれがあるだけで、殺風景だった部屋は見違えるように旧世界風に生まれ変わった。スプリングの部分を作るのに協力した科学者は、その座り心地を確かめるようにゆっくり腰を下ろした。
 隣に座ると、龍水はローテーブルの上に置いていた酒の栓を開け、琥珀色の液体をグラスに注ぐ。何を切り出されるのか多少身構えながら、とりあえずは無事の帰還を祝うことにした。

「一つめの冒険が無事終わったことを祝って」

 そう言いながらグラスを手渡し、自分のものとカチリと合わせる。千空は呆れたような顔をしながらもそれに付き合い、一くち酒を啜った。石神村でフランソワに作らせて以降、寝かせていた蒸留酒である。樽詰めされていたそれを船に積むついで、一瓶分失敬してきたのだ。
 芳醇な香りをはなつそれを、龍水も口に含む。染みわたるように美味い。疲れた心身が一気に解きほぐされていくようだった。思わず嘆息し、どさりと背もたれに身を預ける。

「ああ、美味い」
「酒呑んで唸るとかオッサンかよ」
「貴様よりはな」

 それに俺はずっと肉体労働していた――と言いかけてやめる。石化から復活して数日しかたっていない自分と、一度も石化していない千空とでは、疲労度合いは比べものにならないだろう。そうしてふと、かれが怪我していたことを思い出す。

「――酒はまだ早かったか?」
「いや、もうそういう段階じゃねえ」

 千空はそう言って、何でもないようにグラスを口に運んだ。そうしてリラックスしたように息をついているところを見ると、あながち強がりというわけでもないようだ。

「後処理も含め――意外に早く帰ってこれたな」

 恐らくこの言葉から本題に入るのだろうと予感しながらも、しみじみ言う。プラチナを得るだけで、何ヶ月もかかる可能性があったのだ。石化装置も無事手に入ったのだから、理想的なペースで物事が進んでいるといっていい。だが千空は更なるペースアップを望むだろう。そのことを、龍水は既に知っている。
 かれとのやりとりで、腹の探り合いになるのは久々だった。ふだん龍水はもっと単刀直入であり、合理脳である相手も勿論そうである。

「あ゛ぁ。冬前到着が充分可能になったんだからおありがてえ」

 千空は酒を舐めていた舌をしまうと口唇を吊り上げ、何でもないことのように言った。こちらも、いつもよりは持って回った言い方である。だがその内容は、本題にずばりと切り込んでいた。

「冬前だと?」

 龍水は思わず息を呑む。すぐに出発するとは言われていたし、そのための準備も始まっていた。だが、行き先はこれまで明確にされていなかった。
 本日の説明会で、千空は初めて「ルートは東回り」だと宣言した。太平洋を横断するなら、その先の大陸に冬前に到着することは、これからどんなに早く出立しても無理な計算である。

「テメーには前に話したことあんだろ? 人類復活をマジで考えんなら、大量のアルコールが必要だって。だからまずコーンの街に行く。今ならギリ、コーンの時期に間に合う」

 酒の入ったグラスを撫でながら千空が言った。アルコール、それも蒸留酒は、かれが絶え間なく作り続けていたものの一つだ。プラチナさえ手に入ればすぐに大量の復活液を作れるよう、常に準備していたに違いない。それでも到底、全人類を起こすには足りない。
 ――それは解る。解るのだが。

「間に合うか!」
「間に合う。テメーなら出来るはずだ」

 龍水の低い唸りに、千空は余裕の笑みで答えた。
 嫌な予感は当たっていた。船乗りの勘というやつだ。だから自分は、千空を家に招き入れるのを一瞬躊躇したのだ――と今では解る。

「そう、大圏航路で行きさえすればな。頼むぜ? 神腕船長様」

 溜め息をつく龍水に向かって、目の前の合理的少年は挑発的な視線を寄越し、ずばりと言いきった。

「俺らの目標は、もう地球の真裏じゃねえ。未知の敵に対抗するために、生きてるうちに月に行かないといけないわけだ。時間はいくらあっても足りねえ。この冬を無駄に過ごすのか、冬前にアメリカに着くのか、後々大きな差が出る。テメーなら解るだろ?」

 ソファに身を沈めながら、千空は首を曲げ、視線をこちらに向けて言う。持ち上げつつ脅すような最後の言い方に、龍水は眉を上げた。

「何つー顔してやがんだ。テメーなら楽勝だろ?」
「俺一人が楽勝であってもだな――」

 思わず手で額を押さえ、ふたたび溜め息をつく。

「大体、宝島から早く戻ってこれたのはたまたまであって、帰還時期次第では、次の出発は来年や再来年になる可能性もあったのだぞ?」
「ねえわ。司が溶ける前に帰るって決めてたわ。それにホワイマンが月にいることが解った以上、ちんたらしてるわけにいかねえ。神腕船長なら航海可能な最短ルートがあんのに、使わない手はねえわ」
「簡単に言うんじゃない」

 諭すように言うと、相手はむっと口唇を曲げた。子供のように不満げなことを隠さない。

「船員の負荷を心配してんのか? マンパワーなら大樹も司もいんじゃねえか」
「太平洋を横断するなら、今回とは比較にならないほど過酷な航海になる。一部だけでなく、全員の体力や精神力が万全でなければならない。大圏航路では持ちこたえられないぞ、初心者水夫たちは」
「鍛錬でも、人心掌握でも、司いればいけるじゃねえか。パワーチームはほぼ司帝国の荒くれどもだ。どうにかなる」
「無茶苦茶を言うな。どこまで司に頼りきるつもりだ」
「別にいいだろ、そのために起こしたようなもんだ」

 数日前や昨日言っていたのと違うことを、堂々と千空は言いきった。要は戦闘力だけでなく、体力や人望まで、使えるものは使うつもりで司を起こしたと言いたいのだろう。
 それは合理的な判断のようで、どこか盲目的な信頼のようにも思え、千空らしくない甘えのようにも思えた。それに対して、司は涼しげな顔で見事に応えるのだろうと考えると、面白くない気もする。
 とりあえず、船長判断を無視されたくはない。

「却下だ。等角航路とは水夫の負担がケタ違いだ。貴様が『どうにかなる』というような甘い考えでは到底許可できん」
「どうにかする。そんなヤワい連中じゃねえ。ご心配なら、科学王国特製パワーアップドリンクを改良したやつ大量生産するわ」
「いきなりドーピングに走ろうとするその精神がまず問題なんだ!」

 目の前の広い額を、人類の叡智がつまったそこを、龍水は拳で軽く小突く。といっても、指先で弾いたほどの強さである。だが千空は思いがけなかったのか、目を剥いて抗議した。

「何だ、言うこと聞かねえやつには暴力ってか」
「人聞きの悪いことを言うな。これが暴力なら、マグマや陽、ニッキーたちはどうなる」
「力が拮抗してるやつ同士ならいいだろ。でもテメーが俺に手出しするのは、あきらかに暴力じゃねえか」

 そう言いながら恨めし気にこちらを見やり、わざとらしく額を擦る。龍水は呆れて、今度はいささか強めにぽかりと頭を殴る。髪が拳に突き刺さるかと思いきや、意外なほどやわらかなそれは、素直に他人の肌の侵入をゆるした。

「情けないことを言うな。大の男がそんなヤワなことを言っていては、大圏航路はとても無理だ」
「暴力の次は脅迫か。テメー、紳士じゃなかったのかよ。この暴力男」

 そう言いながら身を起こし、千空が飛びかかってきた。龍水の腿すれすれに膝を落とすと、やみくもに腕を振り回してぽかぽかと拳を落としてくる。猫の仔のような攻撃をかわしつつ、龍水はあやすように言った。

「諦めろ、千空。俺が応じなければ他の誰にも無理だ」
「どうすれば意見変える」

 むう、と口唇を尖らせながら千空はこちらの胸元を掴み、身を乗り出して食い下がってくる。二人の距離がひどく近くなる。上目遣いで訴えるような、ねだるような表情は、普段では見られないものだ。
 これも随分甘えた態度だ――と思いながら、龍水は「だから、現実的にむりだ」と冷静に言い放った。そうして相手のからだを遠ざけようと目の前の肩に手をかけると、嫌がるように振り払われる。

「こら、」

 再び腕を振り上げて拳を作ると、千空はそれを両手で掴んで押さえてきた。ほとんどのしかかるようにして全身の力を込められると、さすがに片腕は動かせなくなる。それをいいことに、千空はソファから龍水のからだによじ登るようにして迫ってきた。二人の距離がさらに縮まる。ほとんど密着しているといってもいい。

「そんなに甘えてきても無駄だ。俺は弟気質だからな、他のやつらのように、貴様の『優しいお兄さん』にはなれん」
「知るか、何だそれ」

 自分の意見が通らないのが不服なのか、眉をしかめ、子供のように口唇を尖らせて拗ねている。今にもプンプンという擬音が聞こえてきそうなご不満ぶりに、龍水は思わず笑い出しそうになった。
 先ほどは無駄だと言ったが、普段は見せない表情が、やけに可愛らしく見える。弟のようだとは思わない。むしろ、猫のような愛玩動物か、じゃじゃ馬な恋人を相手にしている気分だった。
 そこでいきなり思考停止する。
 ――今、何を考えた?
 空いている方の手で口を押さえ、硬直する。

「龍水?」

 甘い色をした瞳が大写しになる。千空が顔を覗き込んできたのだ。互いの息がかかりそうな至近距離である。ほとんど一緒に暮らしていたといっていい石神村での生活でも、こんなことはなかった。
 今夜は酒が入っているからな、と、龍水は自分を納得させる。互いに疲れているということもあるだろう。それにあんな、背中を預け合って命がけの闘いをした直後でもあるから。ようやく辿り着いた本拠地で、馴れ合うような気分になったとしてもおかしくはない。そう言い聞かせる。
 だが自分はあくまでも年上の人間として、船長として、公平かつ冷静でいなくてはならない。
 わざとらしく咳払いし、威儀を正すと、龍水は目の前の駄々っ子に向かい重々しく言った。

「千空。俺に対してそんな可愛い顔をしても、無駄だ」
「可愛いと思うんならお願い聞いてくれよ」

 普段ならキモイの一言ですませそうな軽口に、すかさずそれを利用した要請が返る。この辺りも普段とは違っている。本当に酔っているのだろうか、という疑問がかすかに浮かんだ。
 千空はもしかしたら、甘えゆすりたかり泣き落とし、あらゆる手を使って自分の意見を撤回させようとしているのではないか。

「ダメだ。それとこれとは別だ」

 間近に迫った顔に手を当て、ぐいと押しやるようにする。いつかも気球の上で感じたが、シャープな印象があるのに、案外やわらかでなめらかな肌である。
 てのひらの向こうで千空は凛々しい眉を寄せ、傷ついた顔をして見せた。

「あ゛ーあ、テメーなら絶対できる、任せろって言うと思ったのに。俺は皆の反対をおして、神腕船長を起こしたつもりだったんだがなあ」

 そう言って顔を逸らし、わざとらしく寂しげなため息をつく。自分を復活させたことに対し特に何も言ったことのない千空が、初めて漏らした感慨がそれだった。正直、こんな風にだけは言われたくないと気を張って生きてきた龍水としては、演技だと解っていても少々落ち込む。

「テメーだけは、いつでも俺の意図を汲み取って賛成してくれんだと思ってたわ。すげえ気が合う人間もいるもんだと思ってたけど、俺の勝手な勘違いだったんだな」

 哀しげに微笑まれ、いつかこの男にそんな風に思ってもらえれば、とひそかに望んでいた言葉を思いがけなく与えられて、うっと詰まりそうになる。
 思わず傾きかける心を、負けてなるものか、と無理矢理押さえつける。

「当たり前だろう。どんなに気が合う人間同士でも、いつもいつも同じ意見になるなどということはありえん。俺は貴様がそんな甘い考えの人間だとは思わん」

 だからわざとらしい演技をやめろ、と続けようとしたところで、千空がしおらしく頷いて目を伏せた。両手は龍水の片手をぎゅっと掴んだままだ。

「そうだよな、そのとおりだ。そんなやつ、いるわけがねえのに――いつのまにかテメーがそれだと思っちまってた。俺としたことが、どうかしてたわ」

 自分の腿にほぼ乗り上げている相手に目の前でしょんぼりされ、そろそろと身を離そうとされて、龍水はたまらない喪失感に襲われた。じゃれついてきたあたたかい仔猫が去って行くような寂しさに、思わず手を伸ばしそうになるのを、ぐっと堪える。
 そうして内心歯ぎしりした。まさか、こんなにあからさまにメンタル面で交渉してくるとは思わなかった。いつでも単刀直入、無味乾燥、情緒ゼロの相手が、よもやこんな駆け引きを仕掛けてくるとは。

「初めて俺と同じか、それ以上の同じスピードで物事考えられて、同じ意見になるやつに出逢えて嬉しかったんだがな。テメーの方は、別にそうじゃなかったってわけだ」
「千空。個人的な話と、航路の話は別だ。混ぜるな」
「慰めのお言葉はいらねえわ。要は、テメーにとっちゃ俺はその他大勢と一緒ってことだろ。これは、ちーっとショックだな」

 目を閉じて首を振りながらあきらめたように笑われて、こんな顔が見たかったのではない、と思う。
 これは偽りだ、相手はメンタリスト顔負けの策士で合理至上主義者だ、騙されるな、と冷静な自分は判断しているのに。
 本当に傷ついているわけがない、これが千空の本音であるわけがない、と思うのに。
 万が一本当だったら――思いがけなく手に入る可能性のあった得難い何かを、永遠に失うことになる、と思ってしまわずにいられない。

「おい」

 離れていくのが惜しくて手首を掴み、腰をつかまえる。びっくりするほど細い感触に、胸がとどろいた。思わず両方引き寄せようとすると、意外な抵抗に合う。

「気やすく触んな」
「貴様、人の上に跨っておいて何を言う」
「今離れようとしてるところだわ。テメーは俺のことなんざどうだっていいんだろ」
「誰もそんなことは言っていない」

 口唇を尖らせて文句を言ってくる相手に、あやしたりからかったりするような響きにならないよう、注意深く言う。
 それに気づいたのか、赤い瞳がひたとこちらに向けられた。ランプの光にきらめくそれにじっと見つめられ、龍水はふいに心臓をわし掴みにされたような気分になる。
 頭の中に赤い色が広がっていき、相手のことしか考えられなくなる。それと同時に身の内に火が点り、それがゆっくりと肌を這いのぼってくるのが解った。
 そういえば――赤は情欲を煽る色だ。
 細い腰をぐいと引き寄せ、再び相手のからだが自分にのしかかるようにする。触れあった部分から、千空の鼓動も自分と同じく速くなっていることが解った。

「貴様という存在が特別でないやつなど、いると思うのか」

 息が頬に触れそうな至近距離で、低くささやくように言うと、相手が息を呑んだのが解った。

「特に俺は、貴様に望んで起こされたのだぞ? 基本的には、貴様の望むことは何だってかなえてやりたいと思っている。進んで協力したいし、自分を犠牲に戦うことも厭わない。生まれてこのかた抱いたことのない奉仕精神に、自分でも戸惑うほどだ」

 言葉にするつもりなどなかった本音を吐露する。素面ではとてもできないことだ。酒が入っていて、かつ、この距離、この肌感覚、この雰囲気だからこそ、言うことができた。

「そんな俺が、貴様のたっての願いを断っている。それぐらい、無理な相談だということだと解ってくれ」

 真摯な言葉で締めくくると、目の前の口唇が、むう、という形に尖る。シリアスな雰囲気を他所に、今にもブーイングが響きそうな形状だ。千空の思い描いていた展開ではないのだろう。

「俺は貴様にも無理させたくないんだ。人類を救うという目的のために、自分や仲間を犠牲にしないでくれ」

 まだ足りないのかと思いなおも言葉をつのると、ますます目の前のやわらかそうなものが突き出された。それが何故か、いつになくひどく肉感的に思える。少し顔を傾ければ触れられる距離にあるそれから、龍水は目を離せなくなった。
 だから、つい言ってしまった。

「何だ、人が真剣に話しているのにその口は。キスするぞ」

 別に、キスさせたら願いをかなえてやると言ったわけではない。どうしても、何がなんでも無理やりキスしたかったわけでもない。
 ただうっかり魅惑的に見えてしまい、忠告の意味で言っただけだ。「このままだとキスしてしまうぞ」と。
 だが、千空は口唇を引っ込めなかった。単に驚きのあまり動けなかっただけかもしれない。理解が追いついていないのかもしれない。だから龍水は、しばらくの間動かなかった。
 我に返るには充分な時間を与え――それでも相手が動かないことを確認し、待ちわびているようにも見える口唇に、自分のそれをゆっくりと重ねていく。千空が本当に嫌なら、充分避けられるスピードで。
 粘膜に触れた瞬間、相手のからだに力が入り、呼吸が乱れたのが感じられた。千空もこんな風になるのだなと新鮮な驚きを覚えながら、粘膜同士の接触によるつきんとした快感を楽しむ。相手が口唇を尖らせていたおかげで、やわらかく敏感な部分をすぐに堪能することができた。

「ん……っ」

 思わず、といった感じで漏れた声が、思いのほか色っぽい。
 興が乗り、上唇を何度か食んだ後、弾力のある下唇を口に咥え、甘噛みする。相手のからだがふるえ始めたのが解った。閉ざされていく口唇を惜しむように、尖らせた舌でゆっくりと端から端まで舐め上げる。

「んっ、ん……」

 むずがるような声が上がり、千空がわずかに頭を振った。それをなだめるように、手首と腰を掴んだ手を動かして撫でさすり、ゆっくりと舌で口唇の中央をなぞる。

「――ッ」

 声にならない声が上がり、相手が身をすくませるのが解った。かすかな抵抗を感じ、龍水は一瞬動きを止める。
 千空は、大事な仲間だ。ここで間違った触れ方をすれば取り返しがつかなくなるかもしれない。
 そんな逡巡よりも、欲しい、という気持ちが上回っていることにはもう気づいている。だが相手が徹底的に嫌がり、抵抗してくれば勿論やめるつもりだった。
 しばらく様子をうかがい、千空が身動きしないことを確かめてから、ゆっくりと動きを再開する。なだめるように中央のくぼみをノックし、舌の侵入を請う。やがて、相手があきらめたように力を抜いたことが解った。
 歓喜と興奮を覚えて、じゅる、と音を立てて舌を忍び込ませる。上に乗ったからだが大きく跳ねた。

「ぅ、ん……ッ」

 歯列を割り、中を探る。逃げまわる舌を掴まえ、その先端を絡めとると、相手のふるえが激しくなった。舌を吸い、甘噛みし、存分に味わいつくす。崩れ落ちそうなからだをぎゅっと抱きしめる。
 激しいキスに酔いしれながら、龍水は薄目を開けて様子をうかがう。千空はきつく目を閉じ、睫毛をふるわせていた。その頬はほの暗い室内でもはっきり解るほど紅潮しており、切なげに寄った眉やからだの熱さ、荒い呼吸からも、快感を覚えているのは確かなようだった。
 少し満足して、そろそろと口唇を離す。名残り惜しげに銀の糸が二人の間を伝った。

「は、……ん、」

 とろりとした赤い目がこちらを見つめている。龍水は、甘くドロドロしたものが身の内に滾るのを感じた。こちらの腕に縋りつくようにして、乱れる息を何とか整えている千空が、普段のかれからは考えられないほど素直で可愛い。
 普段涼し気にすましている男の、欲を滲ませた隙だらけのようすに、抑えようとしていたはずのものが、抑えきれなくなる。

「千空、」

 低くささやきながら後頭部を引き寄せる。自分の声が欲望にかすれているのが解る。

「あ、やめ……」
「貴様が悪い」

 そう言いながら、何か言いつのろうとしていた口唇を再度塞ぐ。
 こんなに密着して、情緒をゆすぶられ、自分しかいないというようなことを言われた上で、煽るようなことをされたら。
 男なら誰でも、こうしてしまっても仕方がない、と、言い訳にならないことを考える。
 ぴちゃぴちゃと水音をさせながら、欲望たっぷりのキスをする。相手の舌を引きずり出し、自分の舌で執拗になぞり、絡め、歯で喰らいつく。

「ん、ぅん、……っ」

 鼻にかかった気持ちよさげな声に興奮を覚え、もっと快楽を引き出したくなる。頭を支えていた手を首筋に移動させ、胸元に触れる。同時に細い腰をなぞり、そのまま双丘に這わせると、千空は初めて手足をばたつかせ、全力で抵抗してきた。
 さすがにそのまま強引にことを進める気のない龍水は、口唇を離し、手を離す。

「テメ、なにす、」

 はあはあと荒い息をつきながら口元を手で拭い、千空はこちらを強く睨みつけてきた。快楽に流されかけても、さすがというべきか、意思が強く、気も強い。龍水は、その精神をたまらなくすきだと感じる。
 その肉体ごと、自分のものにしてしまいたい、と初めて思った。

「誰と勘違い、」
「してない」

 だから、よくまわる頭がいらぬことを思いつかないうちにと、あらゆる不毛な可能性を除去する。

「欲求不満なら他当たれ……ッ」
「貴様と、キスしたいと思った。だからした」

 堂々と言ってのけると、紅潮の引きかけていた頬が再度カッと赤くなる。

「な、慣れてねえ人間からかうのが趣味か。悪趣味すぎんだろ」
「違う」
「なら、俺の無様なとこ見て弱みでも握ろうってのか。航路が気にいらねえからって、そうやって言うこと聞かせるつもりか」
「可愛いくないことばかり言う口だな。さっきはあんなに可愛かったのに」
「可愛いって言うな!」

 先刻は逆手にとって利用してきたくせに、今はその言葉を全力で拒否してくる。自分が「可愛い」と言われかねないようすだったことに、それなりに自覚があるのだろう。

「千空、貴様は二度とも避けなかっただろう? 嫌なら、充分間があったはずだ」
「だ、れがこんなことすると思うよ」
「キス以外のことをする雰囲気だったか? さすがに貴様でも解ったはずだ」

 覚悟を決めてそう言うと、千空は赤い顔をしたまま押し黙った。
 ここで航路の話を持ち出してくるはずだ、と確信していた龍水としては、一気に拍子抜けする。
 「テメーに言うこと聞かせるためだ、まんまと引っかかりやがったな。キスしたんだから責任とりやがれ」などと言われたら、さすがに折れるしかないと思っていた。千空は、恐らく初めてのキスだったはずだ。
 だが相手は低く唸りながらこちらを睨みつけるばかりで、隠し持っていたはずのとっておきのカードを切ろうとはしない。
 甘えゆすりたかり泣き落とし、どんな手段を使っても目的を遂げようとしていた千空だったが、結果的に色仕掛けになってしまうことは、矜持がゆるさないのかもしれなかった。
 そう考えると、龍水は何だか、胸のすくような思いがした。
 自分以外の相手にも、かれがそうやって目的を遂げることはないだろうと、信じられたからかもしれない。

「三度目はねえぞ」

 そう言い捨ててさっさと自分のからだから降り、身仕舞するすがたを、一抹のさびしさを持って眺める。
 足早に立ち去ろうとする相手を引きとめる図々しさも、理由もない。
 だが、先ほどとは違う何かに、確かに満たされていた。
 千空は、航路の話を有利にするため我慢していたわけではなく――龍水のキスを、二度も拒まなかったのだ。 


 バタンとドアが閉ざされ、一人きりになった後、本日手に入れたものと手に入らなかったものを天秤にかけてみる。計算の末、まずまずだという結論に至った。
 惜しみなく与えられた、欲しかった言葉の数々を思い出す。そして、航路のことを絶対に譲ろうとしなかった態度も。
 攻防は恐らく、明日からも続くだろう。
 龍水は楽しみな気分で残った酒を干した。千空の呑み残しも呑んでしまおうとグラスに口をつけると、自然と先ほどのキスが思い出される。
 思いのほか色っぽい声と慕わしい匂い、うるんだ瞳とふるえる睫毛、赤く染まった頬と、細いからだの感触――。
 甘くとろけるようなくちづけの記憶は、しばらく自分を悩ませるだろうと思った。
 今夜は到底、眠れそうになかった。 


                                 了

2022.11.04pixivへ投稿

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