龍千

PRECIOUS


3741文字。
短編書きたいと思ってた所、昼前にテレスペ観て降ってきたお話。
「自分にとって千空とは?」という問いに、司は光、龍水は運命、
ゲンはすべてと答えるかなと思ったんですが、光は龍水も言うかも?と思って。
多分STORMの二人…だと思います。



 書き物をしているすがたが目に入った。
 雨の日のラボ、湿った匂いのする室内、静かで知的な空間。
 普段活気に満ちた部屋には人の気配がなく、その主が静かに一人で過ごしていることが多い。
 だから雨の日、龍水は決まってラボを訪れる。
 勿論、主の邪魔にならないよう、自分もまた声を落とし、溢れ出るエネルギーをなるべく抑えるよう心がけている。うるさがられて追い払われては元も子もない。
 もっとも、千空はこの部屋に入ってきた人間をいきなり拒絶するようなことはしない。自分がどんな調子の時も常に門戸を開き、誰にでもあまねく平等に接している。
 この男は基本的に人がすきなのだと思う。その短い人生の中で、既に人間の持つ醜悪な面も、許しがたい面もさんざん見てきただろうに、人に絶望することも、諦めることもなく、いつも楽しそうに何かに唆られて過ごしている。
 そういうかれを見ていると、龍水も救われるような気分になった。以前のかれならばイライラしていたことでも、ぐっと堪えられるようになった。
 この年下の少年がこんなにも泰然として、不平不満を言わず、できることを見つけ、実行して生きているのだから、自分も大人にならなくてはという気持ちが働くのだろう。そしてそれは悪くない変化だった。龍水はこのストーンワールドの小さな村の中で、日々成長していくおのれを感じていた。
 挨拶もなく相手の向かいに陣取り、机の上に広げた質の悪い紙に、何やら文字を書きつけている様子を観察する。
 こちらに向けられた翡翠色の毛先、襟元からのぞく白い首筋、伏せられた案外長い睫毛。すらりと伸びやかな腕、必要な分だけついている筋肉、よく動く荒れた指先、きっちり整えられた爪。
 木炭の先から生まれていく文字。
 お世辞にも達筆とはいえないが、誰にでも読みやすい、はっきりくっくりと書かれた、几帳面な文字だ。龍水はそれをひどく好ましいと思う。

「フゥン、貴様の字を見るのは珍しい。興味深いな」

 心に浮かんだことをそのまま口に出すと、「あ゛ぁ?」と言いながら相手が初めて顔を上げた。石榴の粒よりも赤い瞳が自分に向けられると、何度経験してもゾクゾクした高揚感が湧きおこる。

「ゲンは貴様と出逢う前からその字を知っていたのだと言っていた。この文字に、助けられた復活者も多いのだろうな」

 そう言いながら、散らばっている紙を手に取り目を通していく。数行読んだだけで、龍水には書いている人間の意図がはっきりと読みとれた。

「千空、これは、」

 顔を上げ、半ば詰問するように言う。千空は今度は顔を上げないまま平然と答えた。

「いつ何があるか解んねえからな」

 人類が再び厄災に襲われた時、また何もかもが失われていたら、まず注意すべきこと。行動すべきこと。用意して、クラフトすべきもの。どのように生活基盤を整えていくか。飲食についての注意。獣や虫についての注意。環境についての注意。
 人類にとって有益だと思えることを、自分が一つ一つ越えて行った道のりを記録するかのように、困り果てながらこれを読む人間に伝えるかのように、解りやすく書きつらねている。
 自分がいなくなっても、皆が生きていけるように。
 人類の火が途絶えることのないように。
 さすがは石神百夜の息子だ、と思う。

「貴様――自分がいなくなった時のことを考えているのか」
「そんな後ろ向きじゃねえわ。でも、必要になる日がくるかもしれねえだろ」

 龍水の声に混じった怒気をなだめるように、苦笑混じりの声が応える。
 言わんとしていることは解る。この男は常に最悪の事態を想定し、事前に打てる手はすべて打っておく人間だ。龍水はそんな千空のことをたまらなくすきだと思う。好みだと思う。
 だからこそ、想定されている状況のことを考えると、暗澹たる気分になる。
 この紙を、いつか必死の面持ちで読む人間のことを想像すると、絶望的な気分になる。
 それが自分だったら、という想定だけは、絶対にしたくなかった。

「――何だよ」

 気づけば立ち上がって相手の背後にまわり、薄いからだを後ろから抱きしめていた。
 そのほそい肩に顔を埋め、相手の体温を、脈拍を、呼吸を、身じろぎを、生きている気配すべてを体感する。生のてごたえを堪能する。

「この村で今この文の価値が解るのは、おそらく俺と羽京だけだろう。尊いものを見た時、人間ができることなど限られている」
「理由になってねー」
「ゲンも恐らく、こんな気持ちだったのだろうな」
「テメー、俺と会話する気ねえだろ」
「そんなことはない。貴様が解っていないだけだ」

 きっと本人には解らないだろう。

 ――俺は、この世界で初めて日付を見たその時から、千空ちゃんが一番大事だよ。

 そう言ったゲンの心情を、龍水はすぐに理解することができた。
 この絶望的な世界の中に、日付を記録した人間がいるという事実だけで救われたこと。本人に会わないまま、その価値を感じ取り、すきになったというゲンの感覚が、痛いほどに解った。
 この少年の価値を、自分だけが知っているというというような。
 何にかえても大事にして、守りたいというような。
 そんなきもちでずっとそばにいただろうということが、手にとるように解る。
 今は自分が毎日ほぼ独占している存在だった。つい最近まで、こんな風に触れることをゆるされるなど、考えもつかなかった。
 尊い、触れがたい、だが触れたいと思わずにはいられない。
 龍水はどうしても、千空を人間の位置にまで引きずり下ろしたい。神や偶像相手に恋はできないからだ。
 それなのに、賛美の言葉が胸にあふれ出るのを、止めることができない。

「貴様だけが、人類の光だ」
「そんなことはねえ。知ってたら誰にでもできることを、たまたま最初に起きた俺が知ってただけだ」
「たまたまではない。貴様が最初に起きたことには必ず意味がある。そして、自分の持つ膨大な知識を、作った貴重なものを、誰にでも――万人に与えようとするところが、貴様の凄みであり強さだ。俺はとてつもなくそれに惹かれる」

 肩に顔を埋める強さを、抱きしめる腕の強さを少しだけ増す。抵抗するかと思いきや、相手が完全に力を抜いたのが肌で伝わってきた。
 ゆるされている、と解る。

「そして、心配になる。あらゆる意味で貴様を奪おうとする人間は後を絶たないだろう。貴様はずっと命の危険にさらされていくだろう。俺は勿論それらから貴様を守っていくが――どうか、いなくならないでくれ」

 死なないでくれ、とは言えなかった。
 死、という言葉を使うことは恐ろしかった。誰かの死を心底恐ろしいと思うのは初めてだった。今まで自分は死について真剣に考えたことがあっただろうかと今さら自問した。
 それなのに、残酷な想い人は、いとも簡単に自然の摂理を口にする。まるで、自分は間違いなく人間なのだとでも告げるように。

「誰しも人間、いつかは死ぬだろう」
「俺の前からいなくならないでくれ。俺より先に死なないでくれ」
「『関白宣言』かよ」

 何故かカッコつきで聞こえるような言い方で、千空が喉を鳴らしながら言った。依頼形で頼んだはずなのに、なぜそんな言葉がこの場面で出るのか解らず、龍水は相手の肩に顔を埋めたまま首を傾げた。

「そんなことはない、俺は平等主義だ」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」

 相手のからだから細かいふるえが伝わる。千空がまだ笑っているのだ。

「テメーに庶民の懐メロを教えてくれる人はいなかったんだなあ」

 そう言って振り向き、覗き込んできた表情は案外やさしかった。言葉の意味は解らないまま、龍水は引き寄せられるようにその顔に手を伸ばした。首に腕を巻きつけ、引き寄せ、孤をえがく口唇におのれのそれを重ねる。
 溺れる人のように、相手の呼吸を奪う勢いで、口唇を、口内を堪能する。
 唾液。粘膜。舌や歯の感触。自分の肩を掴む指の熱さ。そのふるえ。漏れる吐息。
 すべてがいとおしかった。
 生きている人間だと、改めて感じられた。
 そのことに泣き出したいようなきもちになりながら、離したくない、離れたくないと改めて思った。
 頭の隅に、かれが一人きり、真剣に書いていた文章がよみがえる。
 その叡智ごと、その博愛ごと、そのどうしようもないやさしさごと、この男を愛していきたい。
 そして、この薄暗い室内でも光り輝く存在に、よりふさわしくあれるように。
 おのれを律し、鍛え、生きていこうと誓った。どんな時でも隣に並び立ち、最後までそばにいられるように。
 相手に懇願し、その慈悲にすがるのではなく、おのれの力でそれをかなえられるように。
 この腕の中の唯一の光を、いつでも、いつまでも大事に守っていけるように。
 祈るのではなく、自分自身に誓う。
 他の誰かではなく、必ず自分がそうできるように、と。

                                          了

2022年8月12日twitterに投稿

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