龍千

90 minutes


5943文字。
ドッグファイト後の情事龍千。
「命にかかわるような仕事が終わるとヤバいくらいしたくなる」みたいなツイートを見て書きたくなったもの。
pixivにまとめの書き下ろしとして載せたかったので本当に行為直前までです。



「では少し、任せる」

 新しく手に入れたボートの構造と操縦のコツをひととおり羽京にレクチャーし、今後の天候や波の高さについてあれこれ注意し、念入りに引継ぎを終えた後、ようやく龍水はそう言った。

「少しじゃなくてちゃんと寝てきなよ。ずっと休んでないだろう。僕はさっき寝させてもらったから夜まで大丈夫」
「フゥン。なら、よろしく頼む」

 交替を見越して準備していたらしい羽京の申し出に、船長として体力が何より重要と熟知している男がすなおに応じる。ブリッジ後方でそのやりとりを見守っていた千空は安堵の息をついた。もしも断ったら口を出そうと思っていたのだ。
 マントを靡かせこちらへ向かってくる男を観察する。顔色も表情も足どりも普段と変わりない。先ほどの会話と声音から考えれば、普段以上に落ち着いているといってもいい。
 だが千空には、近づいてくるごとに、龍水のエネルギーが体内に収まりきらず迸っているのが感じられた。そんなことを言うと非合理的、非科学的なことこの上ないが、恐らくは微細な呼吸の変化や体温の上昇、それによる体臭の違いなどを無意識に察知しているのだと思う。司が言う、「アドレナリン分解物の刺激臭などを判断している」というところだろうか。
 ともかく、海風に身を晒しているにも関わらず、圧倒されるような熱量を肌で感じた。その激しさは、傷が癒えきらないままドッグファイトに参戦し、消耗しきったからだには少々こたえるほどだった。

「千空、貴様も頼んだぞ」

 目で追うだけの自分に、龍水がこちらを見ないままそんな言葉をかけてくる。それだけで言外に「来るな」と言われたのが解った。正確には、「俺に近づくな」だろうか。
 返事もせず、キャビンへと続く階段を下りようとする男をじっと見つめる。
 風になぶられる金髪、はためくキャプテンコートとマント、階段の手すりにかかった戦化粧の指、手、腕。厚い胸板と引き締まった腹、腰。
 顔が見えなくなる直前、龍水はほんの一瞬、こちらに視線を向けてきた。
 ぎらついた、今にも人を食い殺しそうな、飢えた目つき。
 その獰猛な視線に見覚えがある、と思う。ゾクリとしたものが背筋に走った。
 龍水は誰も殺さない。しなやかな筋肉のついた腕は本気で人を殴ることはないし、腰に帯びた刀が抜かれたことはない。銃を握っても、人の心臓を狙うことはないと断言できる。
 だが、かれは明らかに草食獣ではない、と実感するのはこんな時だ。
 男の靴音が完全に消えてから、千空は静かに息を吐き出した。 
 ――喰い殺されるかと思った。
 捕食される、その直前に生まれる甘美な疼きを知っている。
 肌が、熱を帯びていた。


「大樹」

 応接に下りて「少し休む」と宣言し、とコハクと氷月に羽京の補助を、ゲンと司にゼノの監視を頼んだ後、千空は幼馴染を呼んだ。目だけで室外へ誘い出すと、大樹は何も言わず素直についてきた。
 下の階まで下り、厨房から少し離れた、奥へと繋がる通路を目で示す。
 自分でも、この人選はどうかと思う。口八丁手八丁で誑し込むのを期待するならゲンで、体を張ってもらうなら司だろう。だがこんなプライベートなことを頼める人間は、やはり親友以外にはいなかった。

「一時間、いや一時間半、ここの通路キープできっか? ウチの船長にちーっとケアがいる。人を通さねえようにしてくれっと助かるんだが」

 通路の先を顎で示す。奥に、物入も兼ねた鍵のかかるバウバースがあることは、先ほど視察した時に確認済だった。
 龍水が一人こもるなら、応接の奥にある数人用の寝室よりもそちらだ、という確信がある。

「テメーにしか頼めねー、こんなこと」

 唖然とした顔の大樹を見て、千空の胸に苦いものが込み上げる。想い人を敵地に置き去りにしてきたばかりのかれにこんなことを頼むのはやはり酷だったか。非常時に何を考えている、と詰られても仕方がないことだ。
 だが、やはり大樹は大樹だった。

「ま、任せろー!! お前がそんなこと言うなんて、ちょっと驚いただけだ。二時間でも三時間でも構わん。ゆっくりしてくれー!」

 声量を通常の十分の一以下に落として叫ぶ幼馴染の様子に、クククと笑いが込み上げる。なるほど、自分の台詞を嚙み砕いて、ようやくその意味にたどりついたらしい。

「バカ、ゼノいんだぞ、二人ともそんな留守にできねえわ」

 そう言って千空は、以前羽京にやったのと同じ耳栓を手渡した。

「ゴムねえから気休め程度だが……」
「へ、平気だ! ここはエンジンの音がうるさいからな! 気になったら耳を塞ぐ!!」
「あ゙ー、そうしてくれっとおありがてえ」
「だが千空、大丈夫なのか?」
「何がだ?」

 ふいに気遣う声になった大樹に、何を言われるのかと身構える。
 「あの」様子の龍水を相手にして大丈夫なのか心配されているのだろうか? 大樹にそんな機微が解るのか?

「――その傷、だ」

 だがやはり大樹は大樹で、指し示されたのは胸元だった。

「大丈夫じゃなきゃ飛行機乗ってねえわ」

 耳に指を入れながら苦笑する。これ以上何か言葉をかわすのは照れくさくて、ひらひら手を振って幼馴染の前を通り過ぎた。
 大樹に対してこんな風に背を向けたことはもう幾度となくある。だが、今回ほど自分たちが大人になったと痛感したことはなかった。
 気恥ずかしくもあるが、こんな自分の変化を見せてもいいと思えるのは、やはり親友以外ありえない、とも思う。
 自分の方が先にこんな感慨を抱くなんて、数年前までは考えたこともなかった。
 恋は人を一気に大人に変えるのだ。


 通路を移動しながら、周囲の音に耳をすませる。エンジン音が物凄くて、人の声は聞こえない。羽京なら解らないが、今は操縦に集中しているだろう。それに、プライバシーにこだわる欧米人の作った船だ。ペルセウスよりはるかに小さいボートではあるが、ひとつひとつの設備は悪くない。防音性にも期待したいところだった。
 バウバースの扉をノックしようとして、千空は思い直して無断で開く。案の定、鍵は開いていた。

「何かあったか?」

 普段どおり、張りのある声が響いた。
 室内はうす暗く、多少雑然とした風景を暴きたてることはない。倉庫を兼ねた部屋のようだが、大人が三人ほど転がれるスペースがあり、仮眠をとれるようになっている。
 龍水は敷き詰められたクッションの上で、仰向けに寝転がっていた。マントもコートも船長帽も脱ぎ捨てたラフなすがただ。

「――千空」

 上体を起こしこちらを確認すると、かれはたちまち眉をひそめた。逢瀬の時間を作って忍んできた恋人に向ける顔ではない。

「お疲れな船長はおやすみかと思ってな」

 口唇を曲げ、眠ることなど出来ないだろうと承知の上で、ノックしなかった言い訳をする。
 そうしてやはり龍水は、短時間鍵をかけることすらためらったのだと確信した。
 夜までキープしたはずの休息時間すら、自分の責務と最悪の事態を考えて施錠できずにいる、その矜持を、責任感を、ひどく得難い、いとしいものだと感じる。
 この男はやはり自分が選んだ男だ、とつくづく実感した。
 だからわざとゆっくり、音をたてて鍵をかけた。硬質なひびきに、凛々しい眉がますますひそめられる。
 靴を脱ぎ、クッションの上に乗り上げる。さすが欧米製、と感心するほどスプリングが効いている。きしむ音を響かせ、両手を使って這うように前に進むと、龍水は後ろ手をついて後じさった。

「今の俺がどんな状態か解っているだろう。来るな、と言ったはずだ」
「言ってねェなあ」
「俺のいない間のことを頼んだはずだ」

 珍しく尻込みする恋人が少し面白くて、千空は口の端を吊り上げて笑う。そうして伸びあがり、相手の両肩に手をついた。見上げてくる龍水というのが見慣れなくて、しばらくその状態を堪能する。
 それから首に腕を回し、目を合わせたまま甘えるようにからだを擦りつけ、ゆっくり腰を落としていく。

「千空、貴様」
「あんな目されたら逆に気になるわ。船長様が今どんな具合なのか、どうケアしてさしあげたら楽になっていただけるのか、よく考えて来たわ」
「何を言っている……」
「とりあえず、一時間半キープした。九十分たったら俺は出て行くから、それまではテメーの好きにしやがれ」

 そう言ってあたたかい腿の上にまたがる。龍水の目が驚愕に見開かれた。

「――この非常時に、自分が何を言っているのか解っているのか」
「あ゙ー、大体想像はつくわ。スポーツする人間、ステージに立つ人間、それに命にかかわるような仕事してる奴らは、その後すげえお元気いっぱいになるって聞く。あんな空中戦やっておいてテメーが興奮してねえわけがねえ。なのに責任感が強い船長様は、こんな非常時に鍵閉めて籠ったりできねえ。だから、抜けてねえんだろ」
「無粋な言い方をするな」
「一時間半はぜってえ誰も来ない。保証する」

 やりとりするのがもどかしくて、千空は腿の上方まで移動すると尻の位置をずらした。龍水のからだがびくりと揺れる。

「とりあえず抜いてやるわ」

 時間は有限である。早く火をつけるため後ろ手に腕を伸ばすと、強い力で手首を掴まれた。

「千空、」

 この部屋の扉を開けた時とは裏腹の、かすれた低い声だった。耳から体内に入り、腹の奥に届いてじぃんと響く。
 囁くだけで相手をその気にさせられる声があるとしたら、こういう声だろう。

「――解っているだろう。俺はただ、抜きたいんじゃない」

 肩を掴んで引き寄せられ、顔を近づけられてゾクゾクする。ぎらついた瞳が覗き込んでくる。
 情欲にたぎった、だがこちらの欲も興奮もじゅうぶん見透かした顔だった。

「この服をむしりとって、からだじゅう齧りついて舐めまわして、おれのもので貫いて揺さぶって、思うさま蹂躙したいんだ」

 言葉とは裏腹、丁寧に胸元の留め具を外しつつ、戦化粧の指が中に忍び込む。背後に伸びた手が、腰から尻にかけ、服の上から焦らすように触れてくる。

「貴様が泣いても喚いても今はやめてやれそうにない。さすがに傷にさわるだろう、だから、これ以上挑発するな」
「さわるなら飛行機乗ってないわ」

 親友に言ったのと同じ言葉を口にしながら、むずがるように尻をかたいものに擦りつける。

「こんな時のために、恋人ってやつがいるんじゃないのか……?」

 いっそやさしいといっていいほどの声を作り、伸び上がってくちづけると、龍水は痛みをこらえるような顔をした。

「――大事にしたいんだ。今まで大事に大事にしてきたんだ。貴様はそれを解っていない」

 首を横に振りながら龍水が言った。苦しそうな、泣き出しそうな顔に、千空はキスの嵐を降らせる。

「解ってる、充分」

 龍水が自分を掌中の珠のように大事にしてくれていることを、知っていた。
 同じ分を、返したいと思っていた。

「壊れもんじゃねえよ。多少は丈夫にできてるわ。本当に無理なら無理って言う」
「それを聞いてやれるか解らない。自分がどうなるか自信がない」
「――いいぜ。泣いてもやめんな」

 泣かない自信は自分もない。だが甘い快楽を与えられて泣いたことはさんざんあるのだから、何が違うのか解らない。
 痛くされるのだろうか。乱暴に扱われるのか。だが、いくら苦しくても上限は九十分だ。耐えられないとは思わない。
 それよりも、ドッグファイトで見せたような本気の龍水を、情事の最中にまだ見たことがないのが癪だった。
 相手の頬を挟み込み、舌をちらりと見せ、自らの口唇を舐める。そうして相手の口唇を舐めとる。
 視線。呼吸。口唇や、舌や、肌の熱さ。
 興奮がダイレクトに伝わる。その興奮に、千空自身もあてられる。鼓動や呼吸が普段より早いのが自分でも解る。からだのいたるところが疼き、熱くなっていることも。
 早く触れてほしくてたまらなかった。

「――触ってくんねぇなら俺が触るぜ?」

 なかなか伸びてこない手に焦れて指を伸ばす。
 骨の浮き出た首筋、鎖骨、逞しい胸元。あらわにされているのとをいいことに、熱い肌を好きにさわる。どんどん服を脱がせていく。
 荒い呼吸とぎらついた瞳、むせかえるような野性的な体臭に、からだの奥がぞわりとする。
 いつもどんな風にされていたか思い出しながら顔を寄せ、首筋に吸いつくと、髪を掴まれ乱暴に引き剥がされた。

「そんなに煽ってどんな目にあうのか、本当に解っているのか」

 苛立ちを含んだ目と声に、口唇を尖らせて応える。

「解んねぇよ、そんなの。でも、いつもお優しい恋人様がどこまで獣になれんのか、本能のままのテメーがどんなふうなのか、興味ある。俺も、興奮してんだわ」

 そう言って思わせぶりに熱に触れると、あっという間に押し倒され、乱暴に上に乗り上げられた。
 服の前の合わせを、引き千切る勢いで開かれる。裾から性急に指が忍び込んでくる。そのままきわどいところをなぞられ、息が上がった。

「――怖いか?」
「怖くねえ」

 千空は間髪容れず答えた。恋人が怖いわけがない。
 どんな状態の龍水でも、怖いと思うことはない。
 いつもより獰猛な気配も、怖いというより、ただいとおしく、興奮するだけだ。

「テメーは俺の船長で、パイロットだ。俺が欲しくて起こした男だ」

 それを間違うことはない。

「いつもいつも、俺の想像する以上に、望む以上に、ご活躍いただいて感謝してる。俺におやさしーくして下さってることも。だから、たまには自分の欲を優先していい」

 世界中を手に入れたいという強欲な男が、自分に対してだけは手加減しているというのは面白くないから。
 かれが自分の欲を満たすためだけに抱いたとしても、恐らく自分たちはばかみたいに相性がいいから。

「テメーなら、そうしながらも一緒に高みに連れてってくれんだろ? ドッグファイトん時みてえに」

 ――そう、信じられるから。

「あんなすげえパイロットが俺の男なんだと思うと、唆るわ」

 相手の頬に触れながら、耳元で囁くように言うと、「貴様、」と唸るように言った龍水が噛みちぎる勢いで首に歯を立ててきた。
 身をのけぞらせ、相手の背に指を食い込ませながら、ああ、やはりこの男は肉食獣だ、と実感する。
 そうして千空は、捕食される直前の草食獣のように身をふるわせた。


 大樹のくれた時間を存分に有効利用するため、それ以降、二人の口から快楽の呻き以外が漏れることはなかった。

                                          了

2022年6月18日 pixivへ投稿

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