龍千

恋愛と契約交渉


4571文字。
龍千強化月間、戦略立案からのプローモーション!
「馴れ初めは何個あってもいい」信者なので馴れ初めチャレンジ!!
龍千長編でもIN SILENCEでもない告白シーンが生まれたので供養。珍しく時期不明です。



 いつもの実験室。木材と薬品の匂いに満ちた室内。ガラス加工の大きな机。その上で何かの図面を引いているすがた。
 鼻歌を歌ってリズムをとっている。ふわふわした髪と袖が揺れている。表情はご機嫌で、まろやかな弧を描く頬と、笑みを浮かべたふっくらした口唇がひどく愛らしいと思った。とてつもなく欲しいきもちが込み上げた。
 だからつい、言ってしまった。

「フゥン、欲しいな」

 フィンガースナップとともに、感心したような、すなおな声が出た。
 その響きに驚いたのはむしろ自分の方だった。千空は驚くことも顔を上げることもせず、「ほーん」と返事にもならない反応をした。完全にあしらわれている。

「恋愛的な意味で貴様が欲しい。俺のものになってくれないか」

 ごまかすことも出来たが、「この機会に告げてしまえ」という内なる声が聞こえて一気に攻勢に出る。
 ずっと考えていた言葉で口説き直すとさすがに顔を上げた。見ひらかれた赤い瞳がすっと細められ、眉間に皺が寄る。惜しいな、と思った。楽しそうな様子をもっと見ていたかった。だが、この表情をさせたのは俺自身だ。
 千空は苦々しいといっていいほどの口調で言った。

「龍水、俺はテメーを果断に富みつつ慎重な男だと思ってる。力を惜しまないのに安請け合いはしない。騒々しいのに軽々しい口はきかない。女好きのようで女にデレデレすることはない。そんなテメーを常々評価してんだが」

 木炭で耳の後ろを掻きながら、科学王国の長は人を不躾に品定めしてくる。さすがによく見ている。
 そして、その評価は案外悪いものではない。

「ご理解非常にありがたいな。その慎重な俺が口説いているんだ。冗談でも、気の迷いでも、軽いきもちでもないことが解るだろう」
「女口説かねえと思ってたらテメー、そっち側の人間だったのか?」
「そっち側ってどっち側だ。俺は今まで男のからだを欲しいと思ったことはない。貴様が欲しいだけだ」
「目的はなんだ?」
「――目的?」

 思わずうなるような声が出た。
 この合理脳。一筋縄ではいかない。無論この相手をたやすく口説けると思っていたわけではないが、無味乾燥、根拠重視の散文的な物言いには閉口させられた。

「こんな問題に無粋な言葉を使うな」
「テメーが俺にそんなこと言うのはリスクがありすぎんだろ。恋愛脳さんざんブッタ切ってきた俺だぜ? 断られる可能性の方が断然高え。ていうか百億パーセント断るに決まってる。それなのに口に出す必要がどこにある? 気まずくなったら? 万に一つ応じたとして、別れたら? そういうこと考えないテメーじゃねえだろ。それでも言うってことは、何かあんだろ」
「フゥン」

 矢継ぎ早に疑いの言葉をかけられ、俺は対面の席で頬杖をつくのをやめ、椅子に座り直して腕を組んだ。本当にうっかり口から漏れ出てしまっただけなのだが、そんなことはこの男の念頭にはないらしい。
 さて、ここからどう言って口説こうかと考えていると、

「テメーのもんでいりゃ、何か俺に都合いいことがあんのか? 何かの取引か?」

 と追い打ちをかけてきたから、天井を見上げて嘆息した。
 「駆け引き」ならともかく、「取引」はないだろうと思う。
 恋の話をしているつもりなのに、これではまるで仕事の話だ。それも、出逢ったばかりの頃に逆戻りした気分だった。
 勿論、効果的なプレゼンテーションも、破格の取引条件を提示することもできる。だがそういうものではない。そんなことで妥協されて嬉しいものではない。

「……貴様が、すきなんだ」

 四の五の言うのをやめて喉から真情を絞り出す。その声は案外、拗ねたような響きになった。
 ガキくささに舌打ちしたくなるのを堪える。照れてさまよいかける視線を何とか正面に固定する。俺はほとんど自棄になって、自分らしい表現を使って言い直した。

「惚れたから、他とは違う意味で、貴様が欲しい」

 一つひとつの言葉を区切って、はっきりと伝える。痛いほどの沈黙が落ちた。
 千空が言葉を失っているのが解る。先ほどの饒舌さと余裕ある態度は消え失せた。
 目が泳いでいる。布を巻いた手が落ち着きなく動いている。そういえば、いつのまにか木炭が机の上に置かれていた。
 指を伸ばしてそれを取ろうとして、かれは見事に失敗した。いびつな形に削られた木炭が、丸くもないのに転がり落ちる。わざとなのかどうか、俺には解らなかった。
 だが身をかがめようとする相手を、「千空」と呼んで制する。声だけで動きをぴたりと止めることに成功する。
 時間を与えるな、と脳の隅で警告音が鳴っている。船乗りの勘は当たる。これは間違いのないことだ。
 考える時間を与えるとこの相手は余裕を取り戻し、態勢を立て直し、拒否の理由をいくつも考えつくだろう。二度とこの話を蒸し返させることはないだろう。
 だから機を逃すな、と内なる声が告げていた。

「千空、」

 再度呼ぶと、びくりと身をふるわせてこちらを見上げる。
 その赤く透きとおる瞳が欲しい。もっと近くで俺だけを映させたい。甘く潤ませ、悦楽の涙を零させてみたい。
 俺のことを。
 もっと欲しがってほしい。
 出逢う前に欲しがってくれたように。

「俺はとうに貴様のものだ。貴様に望まれて起こされた、その時から」

 自嘲するように言うと、千空はわずかに息をのみ、痛みをこらえるような表情になった。
 弱みにつけこんだことになるだろうか、と考える。
 俺には選択肢などなかった。圧倒的な引力で引き寄せられた。自分はかれとかれのくれる世界や未来に目を奪われ、それ以外見えない状態にさせられたのに、その相手は自分ではないものばかりに気をとられ、夢中になって楽しそうにしているのだ。
 その手を引き、こちらを見てほしいと願うようになっても致し方のないことだろう。

「――断れば、いなくなんのか?」

 わずかに不安をのぞかせた瞳と声。
 これまで見たことのない風情に鼓動が早くなる。ああ欲しい、抱きしめたい、と喉が鳴るような思いで痛感する。
 てのひらで目を覆い、再度天井を仰いで嘆息した。今度は違う意味で。

「そんなわけがないだろう。ただ、知っておいてほしい。俺が貴様に惚れていることを。俺が貴様のものだということを」

 気を取り直すと咳払いし、なだめるような、優しげな声を出した。それから一転し、睨めつける強さで相手の瞳を見返し、真剣な声音で言う。

「そうして考えてみてほしい。俺と恋仲になることを」

 冗談にまぎらわせらば適当にあしらう。上からの物言いだときつく跳ね返される。
 だが、真摯な告白にはどうだろう。
 三千七百年前、大樹が杠に告白するという時、千空はただ一人「フラれない」方に賭けたのだという。
 もしもあの男のようなひたむきさを、好ましいものだと思っているのなら。
 もしも、真摯なきもちは通じるのだと思っているのなら。
 ――俺に応えてくれ、千空。
 祈るような気持ちで思う。

「……テメーは抜群の判断力と度胸があって、そのくせ慎重で、騒がしいようで落ち着いてて、欲望全開のようで自分を律することのできる、冷静な男だ」

 千空は目を閉じると、ゆっくり息を吐き、一気にそう言った。
 再びの人事評価に調子を狂わされる。だが、それはまぎれもなく高い評価だった。

「対価の意味を知っていて、自分の価値を知っていて、でもそれを押し売りしてこないのは素直にすげえと思う」
「千空貴様、案外俺のことを評価しているのだな」
「実はメンタリスト顔負けに人情の機微にさとくて、おおらかで、気長で――だから、欲しいものは手に入るまで諦めない。諦めるという言葉を知らない。違うか?」

 俺の決め台詞を真似るようにして言うのが可愛くて、満たされて、口角を上げて頷く。

「――お褒めにあずかり光栄、だな。そう理解してくれているならありがたい」

 千空は机の上に肘をつき、てのひらの上に額を乗せた。奇抜な色の髪の先端がこちらを向く。それがかすかに揺れている。見ればしきりに首を傾げ、何やらうなり声を上げている。
 俺は知らぬげに評価面談の続きに戻った。

「俺よりもよく解っているのだな、俺のことを」
「これでも科学王国の長だからな」

 感心したように言う俺に、律儀に返事がかえってくる。適当にあしらった時とは雲泥の差だ。
 ――これは、と気づく。
 指こそ立てていないが、千空が、今、俺との恋を真剣に考えてくれている。
 それだけで、雄叫びをあげたいほど嬉しかった。

「あ゙ー、テメーの求愛を断り続けるのはなかなか難しそうだなー……」

 ためいき混じりに、あきらめたような声で吐き出される言葉に心臓が跳ねあがる。
 期待で胸が苦しくて、はち切れそうで、それでも断られた時のことを想像して更に苦しくなる。
 お前などいらないと、そう言われてしまったら。暗く冷たい穴の中にどこまでも落ちていく感覚がして、俺は瞬時に断られた場合のことを想像するのをやめた。
 世間一般で言われる恋愛でなくても構わないのだ。大樹以外では一番隣にいて、かれに触れて可愛がれる権利を独占できればそれだけでいい。恋のいろはは逐一教えていけばいいだけだ。
 恋が切なく苦しいこと。
 だが、とてつもなく甘いこと。
 時にとんでもない力と勇気をくれること。
 スキンシップの効果や、恋人同士ならではの健康管理、ストレス解消法など、この合理脳が納得するようにたたきこむのもいいかもしれない。
 要は最初の承諾が重要だ。その後は努力次第だ。
 そう考えて、自分もまたこの状況を、一種の契約交渉になぞらえていることに気づく。
 その感情さえ本物なら、恋愛は一種の契約行為だ。申込の意思表示と、承諾の意思表示が合致することで契約は成立する。ただし互いを縛るものは無粋な法律などというものではなく、双方の倫理観や良心といったものだ。その点で、千空ほど信頼に値する人間はいない。
 そして俺のことも、相手にそう思ってほしかった。

「俺はこれから毎日貴様を口説く。隣にいる価値を日々作り続ける。そのうち俺以外は目に入らなくなるさ。必ず貴様はおれのものになる」

 自信たっぷりに言いきる。プライミング効果を狙っているわけではないが、必ずそうするという意思表明は大切だ。気弱な面を見せ、相手の罪悪感を刺激して気をひくのはここぞという時だけでいい。それは少々きわどい離れ業だった。
 それよりは毎日信頼と実績を積み重ね、自分以外の選択肢をなくして承諾の言質をとる。それは早ければ早いほどいい。競争相手が生まれ、独占禁止法が敷かれる前に。

「何だそれ、恐ろしいな」

 千空が首を振りながら顔を上げた。その口元に笑みがあるのが見え、たちまち気分が浮上する。心に光が差し込んだ気がする。
 笑ってくれるだけで、こんなにも嬉しい。子猫が懐いてきたような気持ちにも似ているが、更なる幸福感がある。
 たまらなく好きだと思った。そうしてそのことを伝えた。
 赤い瞳が黙って逸らされる。無言は否定よりも勿論可能性がある。心臓が早鐘のように打つ。
 いつか瞳の周囲や、その下のなめらかな頬も同じ色に染めさせたい。
 そのための口説き文句を考えるために、俺はゆっくりと深呼吸した。

                                          了

2022年6月7日 twitterへ投稿

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